《今回は、ベーゴマ~宇宙~量子コンピューター~ビクトル・ユーゴ~図書館~素粒子~坂井三郎。コレを繋ぐなんて、想像してもできないストーリー。話の展開が、実に自由奔放で面白いと思います。

普通、予想外のことが起こると、考え込んでしまったり、後戻りしたりするのですが、何が起きても、興味のままに、楽しみながら、自由に進んでいく感じです。

こういう発想の仕方、すべての環境を受け入れ、自らが環境のなかに溶け込んで入り込んでいく思考パターンをしていると、ストレスを感じることが少なくなるでしょう。

自分自身に対して、極めてチャレンジングで、積極的な考え方です。

人間は、環境を変えるのは難しいが、自分を変えることは可能です。環境に不満を持つ人は、自分の力で変えることができないことにストレスをためますが、自分を変えることのできる人は、環境に適応して進化していきます。

人間の進化や成長は、興味に惹かれるがゆえに生まれてくる結果でしょうか。(A.Y)》

宇宙、皆さまは宇宙と聞いて何を感じますか?

私が初めて宇宙という音を聞いたのが、たしか5歳の頃だったと思います。

私は、昭和27年8月8日生まれで、西暦1952年です。1957年10月4日にソビエトが初の宇宙空間からの通信をしたそうですから、やはり5歳で正しいのです。

この頃に、竜圡町の年上の遊び仲間がベーゴマをするときに、宇宙だとか、スプートニクスと云っていたのを耳が覚えています。でも宇宙か何であるのかも分からずに音として、そして空の上という漠然としたことしか分かりませんでした。そしてベーゴマのブームが去ると宇宙もどこかへ飛んでいきました。

次に宇宙が出てきたのが1961年に、同じくソ連の宇宙飛行士ガガーリンが登場したときでした。小学校3年生のときで、宇宙には空気がないこと、とてもとても広いことを知りました。

そして、ここからが悩みの種になりました。このとても広いが分からなかったのです。小学校3年生の私には。どこかで終わるだろうと、そしてその終わりの向こうは何なんだろうと、夜、寝床で始まるのです。散々考えた末、くたびれて寝てしまうのでした。

実は今も答えは出ていません。

そんなこんなで時折、私の人生のなかに宇宙が出てくるのです。それで図書館に行くたびに必ず物理と科学の欄を見通すのです。面白そうなものを借りてきては、へえ~、分からない、あっそうだ、と楽しんでいるときに、店の休憩時間にラジオを聞いていると、女性の数学者の方が登場されて、量子コンピューターの話しをされていました。

量子コンピューターのことよりも、この先生の方に興味を持ちました。

この先生は、文化系で大学に入学された方で、因数分解も分からないで大学に入学。入学後に、数学に出会ったそうです。そして分からない分、数学に興味を持ち、中学2年の数学から再度挑戦されたそうです。やればやるほど理解でき、さらに興味が湧き、その結果、量子コンピューターに至ったそうです。

こういう出会いもあるんだと感心するとともに、あれ、何かおかしいぞ、と思いました。

原子は素粒子からできており、その素粒子は量子から作られていることは、図書館の本で知りました。原子は常に動いているわけで、それで素粒子も量子も動いているので、その動いているものを起点として計算がなり立つのかという疑問が湧いてきました。

それが一昨年の夏のこと。

それ以来、量子コンピューターは宇宙の終わりと同じようにいつも頭の片隅に残っておりましたが、その頃の一番の関心は、私のサビついたフランス語だったのです。それでフランス語の本が置いてある東京タワーの近くにあるみなと図書館で本を物色したところ、ビクトル・ユーゴの本、あの有名なノートルダム・ドゥ・パリがあったのです。

ユーゴの本は、レ・ミゼラブルと死刑囚最後の日を原文で読んでいて面白く、レ・ミゼラブルは日本人小説家の吉川英治風の文調で大変読みやすく(逆かも知れませんが)、何も考えずに借りてきました。

読み始めてみると、何じゃこりゃで、なんと前文だけで65ページ、本文が630ページ、そして最後の方に注釈が244ページもあるのです。前文は、ユーゴが何回も書き替えた説明と、その裏事情がきめ細かく書かれています。本文は、あの1482年のパリのノートルダム付近の人間模様と、あの有名なせむし男カジモドとラ・エスメラルダの話。何せこの本文、さすが国葬に訃されたユーゴだと思いました。

一番びっくりしたのは、リッセに通っていた当時のフランス語の作文の授業。同じページに同じ動詞を使わないように、があったのです。ですから1ページ読むのに何回も辞典を引き、そして注釈を読んで理解しないと進まないのです。

正直に告白します。昨年の6月に、全文と本文の40ページで、諦めました。

本を一度返し、日本語翻訳で読んでみました。その翻訳は二人で訳しておられ、そのとき、正直そうだよな、大変だものと思って呼んでいくと、私の方が良く読めていました。そこで今度は負けないぞと思い、もう一度借りようと図書館に行ったときに、ふと目に止まったのが、東北大学教授二間瀬敏史氏著の「図解雑学素粒子」だったのです。

絵もついていて、疲れたときに読むにはいいなと思って借りてきました。

それが昨年の10月で、ときどきページを開いて読んでみると、大変分かりやすく、面白いのです。

ご多分に漏れず、前文で全体像の説明。そして古代人の物質感→ニュートンの原子論→陽子の発見→ニュートリノと量子論までを平易な言葉で分かりやすく説明していただけたので、これはちゃんと理解していこうと、いつものように書き写しながら読んでいきました。

所々、書いておられることは分かるのですが、理解の方がついていかないのです。

知っていることと理解していることは、まったく別物なのです。こんな面白いことがもっと理解できれば・・・、誰かよく理解している方がおられて説明してくれたならば・・・と思い、学校の有難味をこれほど感じたことはありませんでした。

この本のおかげで、今まで納得のいかなかった宇宙の話や量子論も、おぼろげながら、ああ、そういうことだったんだと解釈できるようになりました。

またユーゴに戻り、本文の169ページを読んでいるときに、夜のテレビ番組を見て、また別の誘惑が湧いてきてしまいました。

それは第2次世界大戦の空中戦を取り上げたアメリカの番組で、日本の撃墜王、坂井三郎氏を取り上げていました。小学生の頃にプラモデルが大流行し、私も零戦を何機も作りましたので、この方の名前はよく知っていました。

番組では、アメリカの番組なのに敵国、日本の零戦パイロット坂井三郎を自国の英雄パイロットのように描いてありました。 大空の決戦を楽しみにして、正月前、図書館に行きました。またしばらくユーゴはお預けです。

https://www.saibouken.or.jp/archives/4262