《この“くにざかい”、日本にもあるんです。

西郷隆盛が湯治に訪れたことで有名な栗野岳温泉に行ったときのこと。先客が1人いて「どこからいらっしゃったんですか」と言うから「国分です」。「そうですか。私も国分なんですよ」と言った途端、国分の地の早口言葉になり、ちんぷんかんぷん。私の戸惑っている表情を見た瞬間、今度はパッと標準語に戻って厳しい表情で言われた言葉「あなた、嘘ついてるでしょ?!国分じゃないでしょう」。

「いやいや、実は転勤族の自衛官で・・・」と説明したら、すぐに和やかな雰囲気に戻りましたが、こうやって明治新政府の隠密は鹿児島への浸入を阻まれたのだな、と実感した瞬間でした。

日本全国を転勤して回っていると、全国各地に“くにざかい”があることに気付かされます。今では、これは無くしてはいけないもので、多様性を受け入れ、そして生み出す原点になるものじゃないかと、思うようになりました。(A.Y)》

突飛な話なのですが、皆さん、陸路で国境を越えたことがございますか?

昨日テレビで今流行のトレッキングの旅、オーストリアのチロル地方からドイツのバイエルン地方への旅の番組を見ていて思いだしたのです。何でこんなことを書くのか。このコロナ禍で旅行にも行けないのにと、お怒りの方も多々いらっしゃると思いますが、まぁ、ここは一つ黙ってお読み下さい。

昨年100歳を超えてお亡くなりになられた、私の代の龍圡軒にとって、森鴎外さんの次女小堀杏奴さんのご長男小堀先生と同じくらい古いお客様の、成田おばあちゃまが良く仰っていました。それは「旅先での国から国への移動は列車かバスがいいわ」でした。

私もそのように思います。それは私も5回ほどフランスで経験しました。

最初の経験は地中海で仕事をしていたときに、サントロッペの内陸の隣町のグリモから120kmぐらい。

今、地図を見て、もっと前を思い出しました。

それはフランスに渡って3年目の夏に、ボーイの友人ディディエの結婚式で、イタリアの国境添いの村Sospelソスペルに行ったときに、村の青年団の一員として、夜、イタリアの隣村の祭りに行ったことがありました。

地元の人間しか通らない、あるべき税関もない山道で、このときは夜だったので気づきませんでした。一体何を気づくかというと、先ほど書こうとしたグリモからイタリア国境添いの町、あの音楽祭で有名なSan Remoサンレモに、ワイシャツを買いに行ったときに感じた、と云うよりも見たのです。“くにざかい”を。

そう国境ではなく、たしかに“くにざかい”なのです。

それはフランスからイタリアに来るまで入って、たかだか150m入った空気というか、気色が違うのです。目に見える面に関しては、6月で草木の色が乾いているように見えたのを今でもはっきりと覚えています。これは私の人生で2度目の経験です。

ここにはたしかにフランスとイタリアの違いがあったのです。

その後、もう一度、サンレモには行きました。

そして、前にも書きましたが、グリモのレストラン、レ・サントンの」オーナー、ムシュ・ジラールがスイスのホテル王に頼まれてイタリアとスイスにまたがる、マジュール湖のスイスの町Locarnoロッカルノのホテルに車で、フランス料理のフェスティバルを行いに行ったとき。このとき、フランスからイタリアを抜けて、スイスに入りました。

このとき高速道路は全部続いているのに、各国の特徴が出ていました。

最後は親友の一人ジルベールの実家フランス南西部の都市Pauポ。

Henri ⅣヘンリⅣ世の生地で、現在は、Basses Pyreneesバス・ピレネ地方の首都、旧Bearnベアルン地方で、Bearnaisベアルネと書くと、ベアルネ人で、これに冠詞を付けてLe Bearnaisル・ベアルネになると、ヘンリーⅣ世を指します。フランス料理でヒレステーキの代表的ソースは、このヘンリーⅣ世を讃えたソースSauce Bearnaiseソース・ベアルネーズです。

だいぶ逸れましたが、ジルベールの実家に遊びに行ったときに、一番下のドミニックから誘われて、ピレネー山脈を越えてスペインへ約40km。私はオートバイ、彼はなんと、自転車で行きました。本当にびっくりしました。

このときは流石に山脈を越えたので、頭には、変化があって当たり前という認識があったので、それほどの違いは感じ取れませんでした。

こんな経験をしていたところに、昨日見た旅。

成田おばあちゃまの「移動は列車かバスが良い」の話し。

オーストラリアからドイツの国境越えへ。この国境越えも山の中を通っていくのですが、家内に云いました。「見てごらん。森が違う。チロルの草原から森林へ。そこには下草が沢山生えているよ。バイエルンに入ると、ほら、下草が少ない」。

皆さんはお忙しい方々なので、お時間があまりないと思いますが、もしコロナが明けてご旅行を計画なされることがおありになるならば、この一文を思い出して頂いて。

陸路での移動だと、景色の他に空気や土地の気色も味わえることを。飛行機ですと、早いのは確かですが、あまりに急に景色や文化が変わり、それも旅の醍醐味でしょうが。

ご一考の価値はあると思います。

ちなみに前文で、人生で2度目と書きましたが、それは子供の頃に毎年夏に祖父母について、買い物係として信州の蓼科に行っていました。

夏休みが終わり東京に帰るときに、中央本線の汽車で東京の新宿へ。甲府を過ぎて笹子トンネルを抜けると、一気に東京のあの蒸し暑い空気に変わるのでした。

ここが“くにざかい”だったのです。

https://www.saibouken.or.jp/archives/4310