適材適所・・・そうでなければいけないと思っている人が多いように思うのですが、自分の適した場所は自分で探さなくてはなりませんし、適材だと言われるようになるには相応の努力をして、自分自身が環境に適応して、変わっていくしかないということを忘れてはいけません。

適職を探して転職することが当たり前になっています。以前のように、終身雇用で、一度就職したら死ぬまで同じ職場で頑張れ、というような空気がなくなり、若い人たちが自由に転職できる環境ができてきました。

適職を探して経験を踏むことができるようになったのは、とても良いことだと思います。

これからは定年退職を迎えた人たちが新たな職に就くことが当たり前になり、「定年退職」という概念もなくなって、年齢に関係なく、それこそ適材適所で働ける社会になるような気がしています。

しかし、本人が自覚して、しかも社会的にも認められて「適材適所だ」と言われるまでになるには、経験を踏む時間がかかるのです。

仕事に就いてもやってみなければ適材なのか適所なのか分かりません。

本人にとって、自分が立っている場所が、今の自分にとって一番良い場所なのだと思って努力しなくてはいけません。

まったく適していないと思っても、やってみればそうでないこともありますし、苦労して工夫するうちに面白くなってきたとか、独自の世界を作り出してしまったなどというのは、良く聞く話です。

そういう意味で、好きなことから手を付けさせるというのは、長続きさせるためにはよい選択です。

しかし、好きなことだけやっていて済んでしまうほど世の中は甘くない。好きなことを続けようと思えば、嫌なこともしなければなりませんし、好きなことをするためにあらゆることに手を付けなければならなくなります。

そういう経験を踏んで、人間は成長していきます。

管理者(リーダー)が、それを理解させることができるか否かが、組織のなかで人が育つかどうかの分かれ道です。

それをシステマティックに、経験を踏みながら段階的に積み上げていく、後輩に対する「指導」が自衛隊の組織の根っこにあります。

実は「指導」の大部分は強制力ではなく、どうやって本人に気付きを与えるか、です。

他の人を見る余裕があるかどうか、誰もが見えないところで努力していることに気がつくかどうか。親身になって、その努力の過程を指導するから人は育ちます。

人を選べないのだから、与えられた人を育てるしかありません。

旧海軍の山本五十六の「やって見せ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ」という言葉で表される、そういう伝統です。

これは日本の古き良き伝統であると同時に、命をかけて戦闘する軍隊の宿命から出てきた伝統でもあります。

つまり、教えて、自分の目に適った、十分な能力を身につけさせなければ、部下に命をかけろと命じるわけにはいかない。指揮官には、そういう責任があります。

自衛官にとって、訓練は、部下に「命をかけろ」と命じるための準備でもあります。