災害の遠因となるものが、天体の動きや地球の動きからきているならば、天災は必然的なものだと考えなければなりません。

もちろん、自然現象には、対応できるものとできないレベルのものがある訳ですから、対応できるかどうか、あるいは対応するか否かを判断することが第一に重要になります。

言いかえれば、どういうときに、諦めるのか、です。

最初から、まったく対応することができないならば考えるまでもないのですが、難しいのは、対応しようと思えば対応できるが、完全に対応できるかどうかは分からない場合です。どこまで対応するのかの判断になります。一番目の判断とは裏腹になりますが、これが二番目の判断。

いつ、諦めるのか、です。

最初から避けるか、逃げるかしていれば、災害にはならないのだが、その判断ができずに対処しようおとするから、災害が起こるのです。対応できる範囲の見極め、あるいはいつ逃げるかの判断だ、と言っても良いかもしれません。

「災害=人に災いをもたらすもの」には、人為的な要素が必ずあるという理由は、この辺にあります。

何らかの現象が起きたときに、対応するだけの十分な能力がないのに対応しようとするときか、(能力があっても)時間的に対応できないとき、災害は起こります。

対処する能力があるか否かの判断が適確にできる前提は、起こるうる現象をどのレベルだと設定して予想しているか、そして対応する自分の能力をどのように考えているかになります。

予想を超えていれば対応できませんし、自分の能力を超えていても対応できません。どうやって対応するか、どこまで対応できるかの能力の見極め。

この三番目の論理的、かつ現実的な判断ができるか否かが、防災の焦点になります。

四番目に、さまざまな事象に直面したとき、どのように判断して行動するか、ということになります。

一番目と二番目の判断を的確にすることが、自然との共生につながる考え方になるのではないでしょうか。無理に自然を抑え込もうとすると、我々の生活そのものに歪が生じてきて、新たな災害の芽となりかねません。災害が発生したときには、想像を絶するレベルの災禍がもたらされる可能性もあります。

私たちのライフスタイルの選択の判断だと言って良いのかもしれません。

三番目の判断は、災害に対処しようとする人間の努力であり、ハード面、ソフト面での技術や考え方や知識の進歩につながります。

自然現象のメカニズムを探求し、技術によって対処能力を高めていく。あるいは、データを蓄積することによって予知し、予報や警報を発することによって情報を発信し、対処できるようにしていく。

四番目の判断は、リスク管理能力や危機対処能力など、人間の資質を磨くことにつながります。

日本は災害大国で、世界中の地震のうちマグニチュード6以上の地震の2割近くが日本で起こっているとも言われています。

また、近代において、日本ほど大きな戦争や大災害を経験しながら、これほどの発展を遂げた国はないとも言われています。

大きな災禍で、古いシステムやインフラが一掃するように破壊され、新しい技術を導入して創造していく効果もあるでしょう。

しかし、私は、何よりも災害に対する四つのバランスのとれた判断を積み重ねてきたことが、日本人の資質や人間性の陶冶に影響し、困難に負けず、目の前のできることを一つひとつ真面目に改善して進んでいこうとする姿勢を身につけさせ、それが技術の進歩や社会の成長を生みだすことにつながって、発展してきたのだと思うのです。