優秀な料理人は、すぐにでも軍隊指揮官が勤まりそうに思ってしまう、ナットクの一文。人を動かすノウハウ、組織を動かすときの機能(役割)分担は、料理の世界も軍隊も相通じるものがあるのですね。 また、軍隊の平時の重要な役割の一つは人材育成で、目的は「身につける」こと。料理人の見習い制度もまったく同じように感じられます。その裏返しで、知識偏重教育やマニュアル教育の問題点が、透けて見えてきます。

当たり前のことですが、一番仕事のできる人が最前線で、すなわちストーブ前で仕事をしながら指揮を執り、動かします。いわゆる二番で、私の役目です。その上に総料理長がいて、オードブル(前菜)、ストーブ前の温かいもの(主菜)の状況やタイミングの総指揮を執ります。これが、フランスで最後の2店での私の立場で、地中海では部下が5人、そしてパリのChibertaシベルタでは7人いました。

仕込みのときは、分からないことがあれば話し、聞き、答えていましたが、いざサービスが始まると、部下には、私の質問に「Yes」か「No」しか答えさせませんでした。それは、まず、私が疑問に思ったことが彼らの答えによって解決できればよいのであって、それが解決できないときに、次の手を打つための現状確認の情報として、「なぜ」や「どうして」が必要になるからです。

彼らにそのポジションを任せたのならば、信用すればよいので、もしもその任に相応しくなければ、事前に他の人に替えるか、補助をつければよいのです。

サービスが始まったときは、瞬時に指示を与え、解決するのが私の仕事で、解決しなければチーフ(総料理長)に報告し、対処してもらえば良いのです。それができなければ、私が交替させられるのです。

店の規模にもよりますが、地中海のレサントンでもシベルタも、80~90人くらいのお客様を1時間くらいでこなします。シベルタでは、Jean Jacqueジャン・ジャックが魚を料理し、私と二人で、60分÷40~45人=1.5~1.3分に1人前の料理を作っていました。とにかくストーブ前は本当に忙しいのです。

人は待ってくれますが、火は待ってくれません。

例えば、4名様のテーブルで4種類の違う料理をご注文いただくと、当然のことですが、それらの料理の一つひとつにかかる時間はそれぞれ違いますが同時に仕上げなければなりません。そして、同時にボーイに渡すのです。

そこに新しいオーダーが入るので、また新たな手を組み替えなければならないのです。

手を組み替えるのは、そう、皆さんが良く知っているマージャンと同じです。

ツモや捨て牌でどんどん手が変わっていく。とても似ていると思います。だから忙しいときに「どうして」だとか「何で」などは、必要ないのです。というより、そんなポジションは要らないのです。

見習いは、フランス語でApprentiアプランティ、仏語辞典を引くと「名詞:年季奉公人、弟子、丁稚、小僧、従妹」と書いてあります。そして、その下にAprrenti ssage「男性名詞:年季(丁稚・見習)奉公」、brevet (contrat) d’apprentissage「年季証文(奉公契約書)」と、あります。そう、店主と見習い本人との契約を交わし、労働省に報告しなければならないのです。 

見習いは、すぐに戦力にしなくても良いので、仕事を覚えて、身につけることができる時間があるのです。日本のように、1年で調理師免許をとらせることには疑問を感じます。

だから、卒業すると、ただのパーツになってしまうのだろうと思います。本当に可哀そうです。