1970~80年代にかけてNHKで放映されたインガルス・ワイルダーの『大草原の小さな家』。アメリカの西部開拓時代に、困難のなかで、勤勉に、善良に、そして徹底した自助自立で生きていく姿、キリスト教的な博愛精神を現し、家族愛に満ちた物語。インガルスの祖先は、イングランドからアメリカに渡ったピルグリム・ファザーズの一員。まさにピューリタンの理想を持ち続けた家族のドラマであったわけですが、洋の東西を問わず、家庭や家族を大切にするという普遍的な“古き(?)良き家族像”が共感を広げ、世界中で大ヒットしたテレビドラマを思い出しました。

2件目の店は、M.Ogierオジエ氏のAubergardeオーベルガルドゥで、この時代の料理協会の会長の店で、ベルサイユの郊外にありました。田舎農家を改造したテラスのある店で、日曜日の昼は、食事のお客様だけでも180~200名様くらいで、午後のお茶の時間に同じく200~250名様くらいがお見えになりました。

常時3人の庭師がおり、お花畑だけでも500m四方ありました。また、牛も30頭ほど飼っていました。1965年までは自分のところで屠殺、解体して、お客様におだししていたそうです。店の敷地は、5km四方は楽にあったと思います。

そう、娘さんMme Michirineミッシリィーヌさんの乗馬用の馬も飼っていました。仲間のDominiqueドミニック(カメリアのドミニックとは別人)のお父さんがパリ郊外のロンシャン競馬場で騎手のマッサージ師をしていて、彼も乗馬を習っていたので、ミッシリィーヌさんに「運動させないと腸にガスがたまってよくない」と話して乗馬の許可をもらい、教えてもらいました。

まずは馬のこと。馬の目は横の前の方についているため、後ろが見えずに怖いので蹴る。だからゆっくりと前から、馬に自分を認識させてから近づくと、馬は逃げない。馬の皮膚は鈍感だから、さすった程度では感じないので、ホコリが出るくらいに叩いて、自分を認識させてから、馬銜(はみ)をかます。馬の唇の端は非常に繊細だということなどを教わり、鞍のつけ方から始まりました。

馬は頭がよく、乗れないとわかると一歩も動きません。ですからはじめはテレビで見るように綱で引いて歩いてもらいました。私は、鐙(あぶみ)を足がすぐに抜けるように踵を落としてかけるのが下手で、最初は鐙を上げて乗っていたのですが、ドミニックが「いっそのこと、鞍をつけずに乗ってみれば」と。それが功を奏して馬に私の意志が通じて乗れるようになりましたが、長時間乗ると馬の汗で痒くなります。だからカーボーイたちが皮のオーバーパンツをつけているのです。

乗って経験してみないと分からないことです。

乗ることができても、言うことを聞かずに、鉄条網ぎりぎりに歩いたり、馬だけが通れる木の下を通ったりして、意地悪をして降ろそうとしていましたが、まぁ何とか早足くらいまで乗れるようになりました。面白かったです。

話しが大分、横道にそれましたが、店のスタッフは、オジエ夫婦80歳台。長女夫婦で、ご主人が料理長、次女、そして雇われチーフ、ドミニック、ベルトラン、ドイツ人のハインツ、オランダ人のカール、見習いのジャック、そして私。そして店で一番オジエ氏から信頼の厚い洗い場のアルジェリア人のアッリ、ホールにはボーイのダニエルとマーク、女性の給仕のマダム セッソ、マリアンヌ、セシル。毎日ではなかったですが、オジエ夫人の妹のマダム ジャネットと庭師3名で、計23人でした。

日曜日にヘルプに来ていたM. Mme Jeanジャン夫妻、そして同じくアッリの友人で洗い場担当のアルジェリア人2人。この人たちも毎週、いやもう20年近く来ているので、指示されなくても朝8時頃、ワゴン車で着くと、コーヒーを飲んでから銀器や銅のサービス用の器を磨いて仕事をしていました。

指示を仰ぐのは、私たち若手の調理人とホテル学校から日曜に来る生徒たちでした。

このときほど、老舗の力強さを感じたことはありませんでした。