人を使うとき、“便利屋で使う人”と“育てながら使う人”がいます。便利屋で使う場所では、言われただけを忠実にこなす人が育ちます。知っていることを惜しみなく同輩や後輩に与えて知識や技能を広めていく場所では、自分で考えて積極的に仕事をする人が育ちます。と同時に、教える人もまた教えた以上に、どんどん自分のスキルを高めて、新しい世界を開拓していきます。

翌年、この出産のときに知り合ったロミー・シュナイダーさん付のコックのフィリップが店に入ってきました。可愛そうに、私と同じ年なのに、あまり良い店にいなかったのか、上手に下働きに使われていたようで、「この店で2~3年働いて、基礎をしっかりした方が良い」と伝えました。本人も違いが分かったようで、納得していました。

なぜかというと、シーズン仕事だからです。

シーズンの仕事をしている人は、夏が終わると、今度は冬のシーズンのところに移って行きます。大体が、フランスやスイス、イタリアのスキー場です。話を聞くと、冬のシーズンは夜が早いので、お客様が6時過ぎには夕食を終えられるので、9時前には仕事も終わり。そうすると、その後にお客様とディスコに行く機会が多く、お金を使ってしまうので、お金が貯まらないと言うのです。ちなみに夏は、日没が8時くらいなので、夕食が8時頃から第一回戦、そして10時頃から第二回戦で、2回転します。

それまではどこへ行っても余所者扱いでしたが、私のように冬、残ったというより、そこにいる人が土地の人間だ、ということになります。その土地の人の気持ちになってみれば、分かります。

それこそサントンの村の人口は、100人にも満たないところ。メインストリートは店の前で、冬期休みの5つ星のホテルがあり、隣が警察で、その隣が郵便局でした。これで終わり。冬場にいる人は土地の人ばかり。冬場、若者は、皆、車で唯一空いているボウリング場に集まるのです。ですから、半径50km内の若者は、どこの村の誰だということを、皆、知っていました。私も、友人と3人でボウリング大会に参加し、プロバンス新聞に写真付きで載ったことがあったくらいです。

話を戻すと、私が受けた国家試験は、地中海ではシーズンが始まる前に行われます。ジェラルドゥ氏が試験官で行くはずだったのですが、どうしても手放せない用事ができ、私が試験官として、行くことになりました。

会場で見た光景は、考えさせられました。それというのは、試験課題の料理ができない子が多いのです。白紙の子もいました。帰って夜、ジェラルドゥ氏に話してみると、彼らは、ピザリアやカフェで働く子たちだというのです。ピザリアやカフェが悪いわけではなく、立派な仕事だということは十分に分かっていますが、それでも何か釈然としなかったことを覚えています。そこへ入ってきたのが、フィリップだったのです。

ここサントンで、もう一人の親友に出会いました。ジルベールです。

ジルベールとドミニックは、店から5分ほどの、草原の一軒家に住んでいました。この一軒家は、2世帯で住めるようになっており、隣にフランソワーズという30歳くらいの女性が住んでいました。彼女はアルゼンチンから仕入れた麻のブラウスをサントロペの市場で売って、生計を立てていました。面白いので、時々休み時間に市場に行って、売り子のまねごとをして手伝っていました。

そこへ女優のブリジット・バルドンさんがお見えになりました。第一印象は、大きな口と細い首で、気さくな方で、ブラウスを2枚買っていただきました。

別の日には、ジャン・ポール・ベルモンドさんが、俳優仲間10人で昼食を摂りに来られたこともありました。

そのときは全員、西部劇の格好をして来られていて、食後、突然、店の前で西部劇の打ち合いの寸劇を始めたのです。それも真剣に。観光客や近所の人たちが皆、見ている前で。ほんの5~6分だったような気がします。ベルモンドさんが撃たれて終わり。大拍手で、ベルモンドさんは立ち上がり、俳優さんたちもテンガロンハットを取って深々とお辞儀をされ、大喝采でした。なんと洒落た方だと思いました。

この頃になると、ちょっと信じられないくらい高給をいただくようになり、シーズンの終わりの9月に、ほんの冗談のつもりで妹に、お前一人くらいなら面倒を見られそうだから来たらどうだ、と手紙に書いたら、本当に来ることになってしまいました。