鎌倉時代の1212年、鴨長明の随筆。

もう語り尽くされているとは思うが、日本人の災害観や自然観や人生観が要約されているように思う。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」。

鴨長明が暮らした、「広さはわずかに方丈(三×三メートル)、高さは七尺(二メートル)もない」という庵から、「方丈記」と呼ばれているのは、あまりにも有名。

鴨長明が生きた61年間に、8人の天皇が交代し、23度の改元が行われた。

そのうち、天皇の即位による代始改元が8回、「辛酉」の年と「甲子」の年に改元する革命・革令改元が2回、なんと災害による改元が13回。

災害による改元は、地震が2回、水災が1回、火災が2回、兵革が3回、疾疫が7回、飢饉が1回(重複あり)。

現在以上の災害の時代である。

災害のなかを生きる無常観を描いているが、「場所を定めていないため、土地を所有してつくっていない。土台を組み、簡単な屋根を載せて、柱の継ぎ目ごとに掛け金を掛けた。心に適わないことがあれば、たやすくほかへ移せるためである」という暮らしぶりの記述からは暗さを感じさせない。

被害者ではなくて、懸命に生きている人間の生き方を描きながら、自分自身の生き様を語っているからだろうか。

自然災害だけではなく、人為災害を含み、暮らしに与える世のなかすべての災害を表現している。

為政者へのいわゆる政治批判もチラリしたアクセントになっている。こんなときに自分のことだけを考えて、民の憂いにどう答えるのだ、先帝の徳政を思い出して欲しい。愛情の深い妻や夫を持つ者の行いをしっかりとみて欲しいと。

人が生きていくうえでの問題は天災ばかりがもたらすのではなくて、人間が生きていくこと自体が大変なことだということで、さまざまな出来事が人の心に与える影響や心の持ち様、メンタルヘルスケアやフィットネスまで取り上げている。

「世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」。

生き難い世のなかへの悩みは、時代を超えて、明治時代の夏目漱石から現代の私たちにまで通じる普遍的な哲学の課題を投げかけている。

なんといっても読む人を惹きつけるのは、さまざまな災害や出来事を受け入れながら、それでも仏道を追求しようという意欲と希望は失わないところにある。

最後は、自分の生き方、人生哲学、そして万人の心に共鳴を引き起こす、己の未熟さを克服しようとする姿に行き着くのだ。

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安元の大火

「人の行いはみな愚かだが、これほど危ない京の街中に家をつくろうとして、財産を費やし、神経を使うのは、あまりにも無益なことである。」

治承の旋風(竜巻)

「辻風は常に吹くものであるが、ただごとではない、神仏のお告げであろうかなどと疑ったものである。」

養和の飢饉、疫病

「たいそう憐れなこともあった。愛情深い妻や夫を持つ者は、その思いがより強い者が必ず先だって死ぬ。理由は、愛おしく思うあまりに、わが身はあとまわしにして、たまたま得た食べ物も相手に譲るからである。そのため、親子で暮らす者は、決まって親が先に亡くなるのだった。また、母の命が尽きたことも知らず、あどけない子供が乳を吸いながら寝ていることなどもあった。」

元歴の地震

「その様子は、この世の普通とは思えなかった。山は崩れて川を埋め、海は傾いて陸地を浸す。大地は裂けて水が湧き出し、岩は割れて谷へと転げ落ちる。渚を漕ぐ船は波に漂い、道行く馬は足の踏み場にまよう。京のまわりの、あちこちの寺の堂舎や塔廟は、一つとして完全なままではいられなかった。あるものは崩れ、あるものは倒れる。塵灰が煙のように立ち上がる。大地が動き、家が壊れる音は、雷の音に似ている。家のなかにいれば、たちまち潰されそうになる。走り出れば、地面が割れ裂ける。羽根も無いので、空を飛ぶことさえできない。もし竜であったなら、雲にも乗るのに。恐れの中で最も恐るべきものは、ただ地震であるのだと思い知らされた。」

福原遷都

「世の乱れる前兆と噂されるのももっともで、日が経つにつれ、世のなかは浮き足だって、人の心さえ定まらなかった。民の憂いはとうとう現実となって、同じ年の冬、帝は京に帰られてしまった。しかし、取り壊された家々は、なにもかも元の様には戻らないままとなってしまった。

伝え聞くところによると、昔の賢い帝は、慈愛をもって国をお治めになられた。宮殿に茅を葺いても軒先を切り整えず、かまどの煙が少ないのを眺められ、定められた年貢さえ免除された。

これは、民に情けをかけ、世を救おうとなされたからである。今の世のひどいありさまは、昔に比べてみるとよくわかる。」

生きにくい世の中

「権力者は欲深くなり、ひとり身の者は、人に軽くみられる。

財産があれば恐れが多く、貧しければ嘆きは痛切である。

他人を頼れば、その身は相手の所有物となる。

他人を世話すれば、心は恩愛のために使わされる。

世に従えば、この身は苦しい。世に従わなければ、正気ではないようなものである。

いったいどのような場所で、どのような行いをすれば、しばらくでもこの身を置き、つかの間でも心を休ませられるのだろうか。」

生き方/この身の遍歴

「生きにくい世のなかを祈り過ごしながら心を悩ませること三十年あまり。そのあいだ、機会ごとに期待がはずれ、自然と、運に恵まれないことを悟った。

ここで、六十歳の命の露が、消えようとする頃になって、改めて末葉のような、終の棲家を作ることにした。」

日野山の庵での生活

「妨げる人もなく、また恥じるべき他人もいない。ことさら無言でいなくても、ひとりでいれば口の災いを収められる。必ずしも戒律を守ろうとしなくても、世俗の環境さえなければ、どうしてそれを破ることがあろうか。」

山中の暮らし

「絶景の場所は持ち主もないので、心を慰めるのに差しつかえない。

季節に合わせて、桜を狩り、紅葉を探し、蕨を折り、木の実を拾って、ひとつは仏にお供えし、ひとつは家への土産にする。

もし、夜が静かならば、窓の月に故人をしのび、猿の声に涙で袖をうるおす。

恐れるほどの山奥ではないので、ふくろうの声にさえ趣深く感じるくらいで、山中の景色は、四季折々に応じて尽きることがない。」

閑居の趣

「ただ仮の庵だけが、穏やかで、恐れることがない。家は狭いが、夜寝る床があり、昼座る場所がある。わが身一つ暮らすのに不足はない。

身の程を知り、世間を知っているので、願わず、あくせくすることもない。ただ静かであることを望みとし、憂いがないことを楽しみとする。

常にみずから歩き、常に働くことは、健康にもいい。どうして、無駄に休んでいようか。どうして他人の力を借りようか。

そもそも世界は、ただ、心の持ちよう一つである。心がもし穏やかでないならば、象、馬、七珍の宝も無意味で、宮殿や楼閣があっても望みがない。

今、私はひっそりとした住まいや、ひと間の庵を大事にしている。たまに都に出て、乞食のような身を恥じるとはいっても、帰って来てここにいるときは、人々が世俗の塵にまみれていることを、哀れに思う。」

結び

「世を逃れて、山林に籠もったのは、心を修めて、仏道を行こうとするためである。

それなのに、姿は僧であっても心は煩悩で濁っている。住み家は、浄名居士の方丈の庵を真似ているといっても、精神はわずかに釈迦の愚鈍な弟子、周利槃特の行いにすら達していない。

これは、貧乏で身分が低い結果、自分を悩ませているのだろうか。はたまた、迷い心の果てに、狂ってしまったのだろうか。」

鴨長明「方丈記」現代語訳全文 ― ミニマリズム的処世術 – Art of Life (hatenadiary.com)