《私の母も「抜けるような青空で、暑かったことだけを覚えている」と言っていた。

毎年、8月になると憂鬱な気分にさせられる番組ばかりが流れてくるのは、あまり好きではない。子供の頃、高度成長期の、日本全体に元気があふれていた時代だったからなのかもしれないが、戦後復興を牽引し、支えてきた多くの経済人が「戦争には負けたが、日本人は負けていない」「物量に負けたのであって、精神は負けていない」と、自分自身を奮い立たせように語っていた姿に、気概と逞しさと魅力を感じていた。 たぶん、そう言って、自分自身を奮い立たせないと生きていく気力が萎えて、失せてしまうほど、辛く、厳しく、明日の見えない時代。すべての人々に悲しみや苦しさがあふれていて、同情や哀れみをかけることもできないほど、皆、必死に生きている時代があったのだと思っている。》

今日、8月15日。また日付から文章が始まりました。終戦記念日です。

ラジオを聞いていると、敗戦記念日だと云ったり色々で、分かりません。確実に分かっていることは、父が戦犯から生きて帰ってきて母と出会い、私が生まれたと云うことです。で、良かったと。

今日のお昼に、読売新聞の方がお母様とお見えになりました。

4年前に、2.26のことを父に取材して記事に取り上げていただいた方でした。その後も、お母様や姪御さんをお連れいただきました。お母様の御祖父様が、私の通っておりました麻布小学校の教員で、1875年(明治8年)、近代的な小学校創立に合わせて、招かれて来られたそうです。お父様の代には、お米屋さんを六本木通りの東洋英和に入る反対側に営んでおられ、私の祖父がその東洋英和の前の麻布区役所の支所に支店を出しているときに、お米を届けて頂いておりました。亡き父も覚えておりました。

今日も亡き父のお盆のために、わざわざお越しいただきました。大変有り難いことです。昔の赤坂區、麻布區の地図の話から色々と話をしておりましたとき、今日、8月15日の話になりました。お母様が「今日の晴れた青空、見ましたか?」「ええ、見ました。5時ちょっと前ですが」。

朝の5時に目が覚めるなんて、ここ2~3年前から生活が一変しました。以前はなかなか眠れずに夜中の2、3時まで、本を読んだりテレビを観たりしていたのが、今では0時前に目が閉じてしまい、昼間撮っておいた映画を見ようと頑張っても寝てしまうのです。人って欲張りですね。見られないのが分かっているのに、また撮りだめするのです。もう100本近くあります。その結果、朝の5時には目が覚めるのです。

話を元に戻しますと、何の気なしに今朝の青空も思い出しながらのお母様の話に、ドキッとさせられました。

それは、「私、あの日の朝の青空はよく覚えているの。それは澄み切った青空で、今日もきれいだけれど、もっと青がはっきりして、それはそれは青青しかったですよ」「ええ」「だってね。東京中の工場は稼働していないから、煙突の煙はなかったでしょ。それに中央線も、東北線、常磐線の機関車も止まっているでしょ。山手線は分からないけれど、あるのはお米を炊く薪ぐらいだから。木炭自動車だってね。だから東京の空気がきれいで澄んでいたんですよ.あの青空は忘れないわ」。

このとき、お母様は小学校3年生だったそうです。戦争が終わったのは分かったそうです。そしてその日も、当時としては大変熱い日で、今日、令和2年の8月15日と同じ32度あったと、息子さんが、今朝調べてくれたそうです。人々の記憶とは意外なところにあるものだと思いました。

今日のラジオで、伊東四朗さんがグラマンに機銃掃射された話をしておりました。私の母は、隅田川の上空で、零合戦と米軍機がぶつかったのを目撃したそうです。何回も聞きました。この日になると、色々な話が出てくるものだと思います。戦争は。

ムシュ・ドラベーヌもドイツの捕虜収容所でナイフ、フォークを取り上げられたので、皆、木の枝を折って使っていたから、箸が使えるんだと話してくれました。

私が渡仏した1970年当時、パリの郊外には戦禍の跡がまだ残っておりましたし、ドミニックやパスカル、ジャンジャックと私で、皆、18~9歳でしたが、食事のときに、日本とフランスが戦争になったらどうしようと、本気で話しておりました。

結論はいつも出ませんでしたが、良かったと思います。

毎年、8月15日その前の3月10日の東京大空襲、8月6日広島、8月9日長崎の原爆の日が過ぎてしまうと、アッという間の、翌日には話が終わってしまうようなところが私には疑問で、大変危惧しております。

前にもリッセの稿で書きましたが、嫌いな人がいてもいいんです。馬が合わなくても、各自、各家、各国が、それぞれ自分、自分の家、自分の国の当たり前のことや常識は、それぞれ、その生い立ちや成立、常態で違うわけで、自動車の運転者の位置、右側通行と左側通行の違いのようなことです。 それゆえ、自分を知り、他人を知ることが大変重要と思います。

https://www.saibouken.or.jp/archives/2920