偉そうに、リーダーシップの本を書いたものだから、ついつい自分のことを棚に上げてしまって、リーダー像を述べてしまうのだが、ハタと自分が若い頃を思い出した。

当たり前のことなのだが、防衛大学校を出て小隊長になったばかりの頃は、何をやっても、何を聞いても部下のほうがよくできていた。

経験があって、話は論理的だし、よく勉強していて、幹部の職をこなしていた。幹部がほとんどいなかったこともあるが、それにしても素晴らしかった。部下の隊員を一人ひとり、本当によく掌握していた。

陸曹にしっかり話を聞いて判断するのが間違いないと考えた私が、何でもかんでも聞きまくっていると、そのうちベテラン陸曹が言った。

「お前、幹部だろう。自分で考えろ。自分で考えるのが幹部だ」。

「何でもよく知っているし経験がある。現場を知っている陸曹に話を聞くのが適切だ」。

「そりゃあ、自分の仕事のことを知っているのは当たり前だが、陸曹が知っているのは、自分の仕事のことだけだ。それ以外は知らん。人に聞かずに自分で勉強しろ」。

陸曹の総元締めのような存在で、陸上自衛隊創設当初からの、いかにも叩き上げの藤沢准尉という方がいた。本人は自衛隊草創期に「ワシは、旧軍出身の先輩に鍛えられただけだ」と言って、小柄で口数が少なく物静かであったが、「准尉を怒らすな」と、全陸曹から畏敬の目で見られていた。

「候補生が、細かいことが分らんのは当たり前だ。気にしなくていい。」

「新米小隊長が、陸曹より分かるほうがおかしい。陸曹のやっていることをジッとよく見ていればいい。だんだん分かるようになる。よく見ていて、何かがおかしいと思ったときに『ちゃんとやれ!!』言え。幹部はそれでいい」。

「素人から『ちゃんとやれ』と言われるような陸曹はプロじゃない。『ちゃんとやれ』と言われて、『これでどうだ』と見せて、幹部を納得させるのが陸曹だ」。

「『ちゃんとやれ』と言われて、文句を言うようなやつはプロじゃない。すぐに言ってこい。ワシがどやしつけてやる」。

静かな声なのだが、真剣になると、歯を噛みしめて歯ぎしりをするように話すときの目には、迫力があった。

そんななかで幹部の在り方や仕事に対する姿勢を教わった。

部隊の現場のことは、陸曹に教わった。藤沢准尉に、一人ひとりの陸曹が自分のポジションのプロとしての意識を持つように躾けられていたし、そうあろうと意識して頑張っている部隊だった。

幹部と陸曹の役割区分を明確に認識しながら、陸曹が幹部職を執っていた。

おだてられることも、おべんちゃらを言われることもなかった。

そんなことで、私は陸曹にはできないこと、幹部にしかできないことを探し出すのに一生懸命だった。

プロ集団の中で存在意義が持てないのだから、自分の居場所を探していたのだ。

おそらく大学出の若手幹部は皆、そんな思いをしながら、育てられるのであろう。

誰も教えてくれないから、訓練や実務の規則などの根拠は、法律から方面隊、師団、駐屯地、連帯レベルの規則、細則まで、必死になって片っ端から体系的に調べた。

訓練の背景や想定、演習場の状況などは、古参の幹部や隊員に聞いたが、多くの答えは「昔からそうなっていた」という答えだったから、なぜ、こうなっているのか。なぜ、そうしなくてはならないのか・・・・と考えた。

そして、陸曹に尋ねた。

「これ知っているか?」と尋ねて、「知らない」という答えが返ってくると、思わず心の中で「ヨシッ!!」と思った。

「訓練の前提が違っているから、やり方を変えてもいいんじゃないか?」。

「じゃあ、命令しろ」「・・・でも、こうやったほうがやりやすいんじゃないか」などと会話しながら、現場を握る陸曹と訓練を組み立て、業務をこなしていった。

最初に配属になった中隊で7年半、小銃小隊長として勤務した間、プロである陸曹とは、一方通行の話はなかった。プロとの双方向の会話があって、いい仕事ができた。

自分の仕事について全責任を持って自分の考えや意見を言えないのは、プロではないと教わったのが小隊長時代だった。

命じられたことをその通りに実行するのは当たり前だが、命じられた以上に仕事をするのが当たり前だと思っていたし、自分の仕事に対して上司から指針をもらうことはあっても、私のなかでは、上司の意図を体して自分の仕事をするという意識は、まったく育たなかった。

誰にも文句を言わせずに「ちゃんとやる」。

それだけが自分の存在意義を見出せる、そんな意識になっていた。