Ⅱ 2010年:尖閣沖中国漁船衝突事件

1 概要

(1) 発生日時:2010年9月7日

(2) 場所:沖縄県・尖閣諸島付近

(3) 尖閣諸島付近の海域をパトロールしていた巡視船が、中共籍の漁船を発見し日本領海からの退去を命じたが、漁船は違法操業を続行、逃走時に巡視船2隻に衝突させ、破損させた。海上保安庁は同漁船の船長を公務執行妨害で逮捕し、取り調べのため石垣島に連行し、事情聴取。9日に船長は那覇地方検察庁石垣支部に送検された。

(4) 中共政府は「尖閣諸島は中国固有の領土」という主張を根拠に抗議し、船長、船員の即時釈放を要求した。これを受けて日本政府は船長以外の船員を帰国させ、漁船を中共側に返還したが、船長に関しては国内法に基づいて起訴する司法手続きの方針を固めた。すると中共はこれに強く反発し、即座に日本に対して激しい外交圧力・恫喝を行った。

(5) 日本政府は 超法規的に船長を釈放した。

2 菅直人政権の政治判断と特徴

(1) 国交省主軸の法執行に、政治が介入した。

海上保安庁は法令に基づいて逮捕し、証拠を確保して送検したが、官邸が「外交配慮」の名のもとに「那覇地検の独自判断」という形で釈放させる、という政治的介入をした。

(2) 現場で起きた事実を伏せて、情報統制しようとした。

海上保安庁は、当時の現場の漁船の行動の一部始終を記録した映像を教育訓練目的で即座に全国に配布し、部内に対して対処行動の正当性を周知、次に備えるよう普及教育していたにも関わらず、政府は、中共と「衝突事件のビデオを公開しない」という密約をしたのか、政府の弱腰外交への国民の批判を恐れたのか、映像を非公開とした。

(3) 中共の強硬な態度に対し、優柔不断な対応が続いた。

当初、領海侵犯に対して法律に基づいた適正な対応が行われたが、中共の強硬姿勢(「恐怖」を押し付ける態度)に対し、政治的判断による超法規的対応が行われた。最終的に、全面的に中共の要求に応じ、漁船の船長を「那覇地検の独自判断」という形で釈放した。

また、一部には流れていた現場の映像を、政府として公開することを一貫して拒否していたにもかかわらず、衆議員予算委員会から求められ、理事ら30人に限定公開するというちぐはぐな行動がされた。

(4) 世論の反発が大きく、漁船衝突映像の流出によりさらに政府批判が強まった。

野党・自民党他から全面公開の要求があるなか、海上保安庁職員から庁内に出回っていた映像が流出し、テレビで大々的に報じられ、国民世論の反発が大きくなった。

(5) 中共は自国の不法行動を正当化し、日本政府及び世論を動かして要求を飲ませるため、強圧的な対日措置による「恐怖」カードを積極的に使用し、段階的に拡大した。

・閣僚級の往来停止

・航空路線増便の交渉中止

・石炭関係会議の延期

・日本への中国人観光団の規模縮小

・在中トヨタの販売促進費用を賄賂と断定し罰金を科す

・日本人大学生の上海万博招致の中止通達

・中国本土のフジタ社員4人を「許可なく軍事管理区域を撮影した」として身柄を拘束

・レアアースの輸出停止

・その他

(6) 政府対応に対して、野党ばかりではなく政府内からも異論が唱えられ、国民世論、役所からの反発が大きくなり、国のまとまりを欠くこととなった。

本来ならば国交省(海保)の法執行や法務省の司法判断に政府が介入することはできないものを、政治(官邸)が「外交関係の悪化回避」という別軸の判断基準を持ち込むことで自ら混乱を助長し、中共の意図通りに動くこととなった。

(7) 政府が中共政府の提示する要求に対応する姿勢を示したため、合法、適正に対応する行政機能を否定することとなり、国民は「安心」の拠り所を失ってしまった。

3 菅直人総理の危機管理

(1) 国交省(海上保安庁)を主軸とするべき法執行の枠組みを政治(官邸)が揺るがした

現場の海上保安庁を主軸にした国土交通省による法執行を否定することとなりました。

海上で発生する主権侵害事案は、まず 国交省(海上保安庁) が所掌し、「警告→説明→退去要求→威嚇→必要最小限の強制措置」の手順を踏んで、現場指揮官の裁量と法令に基づいて実施するのが原則で、官邸や外務省や法務省は、補佐・調整はしても、現場の判断(法執行)には介入しないのが危機管理の基本です。

(2) 「外交の失敗」ではなく、国の「指揮系統の破壊」による機能不全に陥った。

国の基本となるシステムを総理が崩してしまったために、統一のとれた一貫性のある対応ができなくなり、国民の不信が高まり、政治的な求心力が失われ、政治と行政・現場との信頼関係がなくなりました。

(3) 現場対応の合法性、正当性を支持しなかった。

中共漁船の詳細な行動と現場対応の記録映像があったにもかかわらず、積極的に情報発信せず、現場対応の正当性を支持することがなかったため、国民、国際的な世論の支持を得られませんでした。この事件以来、海上保安庁は、尖閣関連で「政治が後から覆すかもしれない」という精神的な萎縮を生む最悪の心理的負荷を背負うことになりました。

(4) エスカレーション管理に失敗した。

中共は、菅政権に対して「圧力が効く」と学習し、要求がエスカレーションしていきました。

中共に「恫喝は効果的」という成功体験を与え、その後、海警法(2021)制定・灰色地帯戦術の強化につながったとも指摘されています。

(5) 政府自らが、日本の尖閣領有の主張と矛盾する姿勢を示した。

日本領土・領海の主張と政府の領土・領海の保全の行動に一貫性がなく、中共の主張を際立たせ、従来の姿勢から踏み込ませる結果となった。

国内世論は、政府が圧力に屈した、領海保全の意志が見えない等の批判が大勢を占めました。

4 まとめ

(1) 心理戦では、相手が与えようとする「恐怖」に対して、政府・行政・国民が一丸となって対処し、国民に対して「安心」を与えるとともに、国際世論の支持・信認を得ることで、相手の行動を抑止することが成立します。

(2) この事案では、「法律に基づいた現場の的確な対処行動」を支持しなかったことにより、政府自らが、政府・行政・国民・国際世論の支持の構造を崩してしまいました。

(3) 危機に際して、指揮官は「何かをしなくてはいけない」という強迫観念に駆られることは常にあるのですが、危機管理のシステムが正常に機能している間は、現場の行動を支持し、現場の対応を支援して強化し、一体感をもって対処しつつ情報を発信することが肝要です。その最高指揮官の姿勢に国民は「安心」を感じ、国際社会はそういう国に信頼を寄せます。

(4) 菅直人政権の尖閣対応は、中共の「恐怖の心理戦」に押し込まれ、法の支配による抑止の「安心の心理」を弱める結果となりました。

当時の映像

 尖閣諸島中国漁船衝突事件 – Wikipedia で公開されていますので、紹介します。