料理をテーマにしたお話がこんなに面白いのだとは知りませんでした。「食」は、人間が生きることそのものだからでしょうか。

和風も、何が和風で、何をもって和風とするか・・・。

子どもの頃の食事と今の食事でもまったく異なるような気がしますし、100年、200年前の日本にあった食材は、相当限られたものであったでしょう。

簡単に、日本の伝統だ、文化だと言っても、新しいものを取り入れなければ生き残ることはなかったに違いありません。 フランス風、和風・・・・・、自分風を創ってみたいものです。

料理の話です。

テレビや映画の時代劇で、一人ひとりが箱膳を前に食事をしているのを見たことがあると思います。これは江戸や大坂などの武家や商家の話で、地方の農家などは違ったと思いますが、フランスも同じです。

1950年代でも、北東部のブロターニュでは、テーブルが皿のように削られていて、直接そこにスープなり、料理なりを盛って食していたそうです。これ本当。

また、今でもフランスの男性の60%はマイナイフ、刃渡り6~7cmで柄が木造の折り畳みナイフを常時携帯しており、食事のときに家庭で使っています。

それで料理なのですが、フランス革命前の貴族の館では、前稿で書いたとおり、テーブルの上に色々な料理を並べて、食していました。しかし、この食事方法では自分の手の届く物しか食べられませんでした。

革命により、料理人が市中に流れ、レストラン文化が花開いたのです。革命前の旧体制化にもレストランはありましたが、そこは食事をとる所ではなく、ギルドがあったため、現代のカフェでコーヒーを飲むように濃縮コンソメ(comsommeコンソメは滋養、完全な、という意味)を啜るところで、1820年代まではパリにしかこのレストランはなかったのです。

『18世紀のブイヨンから19世紀の商店へ。ちゃちなスープカップからラブレー張りの飽食へ。感性から政治学へ。「レストラン」なる語の意味は、このような変遷ののちに定まっていた。』

〔「レストランの誕生」レベッカ・L・スパングより〕

 前稿で、ロシア風サービスという語が出てきましたが、これはフランスでのことです。サービスの方法により料理の作り方も若干違いますが、基本的には、フランス型料理法と云う方が正しいと思います。ただ、その地方、そのときの流行、材料の変化に伴って変わってはきましたが、ロシア風というのは、というよりもロシア皇帝は、フランス王国を真似て発展していったもので、フランス型は変わっていません。建築物で有名なのは、ベルサイユ宮殿に倣って作った、サンクトペテルブルグのエルミタージュ冬の宮殿です。

フランス風サービスとは、簡単に云うと、料理を大皿に盛り、各自自分で取るのです。革命前の定食屋では、料理を大皿に盛り、皆で取っていました。ですから、18世紀には、旅行客からは「パリほど不味い街はない」と云われて非常に評判が悪く、ドイツの碩学者ヨアヒム・ネマイツはパリに着くや、パリの欠点を見いだし、「この首都で実質的に改善して欲しい点と云えば、街路の照明設備でもなく、スリの取り締まりでもなく、料理の質だ」と書きました。

話を元に戻すと、私は昭和27年生まれですが、私の子供の頃の一般的家庭の食事風景と同じで、卓袱台の中心に置いた大皿のおかず一品を皆で取り、食していたのと同様に思っていただいて結構です。

店にフランス中西部のLimogesリモージュ産のレイノの食器があります。大変素敵な食器なのですが、フランス式サービス用に作られているので、今流行っているような、絵を描いたように飾られた料理には不向きで、無造作にポンと盛った料理に合うように作られています。

ロシア風は、フランス風をより豪華にし、お客様にお見せしてから、給仕が料理を取り分けて供するのです。ですから上記のリモージュのお皿でもロシア風に合うのです。

そして最後にイギリス風。現在の私の店でも行っている調理場で皿に盛って供するのです。毎年、ノーベル賞の晩餐会でスウェーデン大学の学生が白のカスケットを被り、給仕するやり方です。

それぞれ長所短所があり、どれが良いかはありません。

そしてもう一つ、紙に挟んで食べるアメリカ風(ハンバーガー)。・・・これは冗談。

料理法は、あえて法ですが、何回も書きますが、その地方、その時代に今でも伝わっているものが、その料理ではないでしょうか。 このコロナにより、私たちの料理業界も、大きく変貌するのでは。

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