《調理の話はさておき、古い物と云えば私の実家に一杯あった。というより、日常生活で当たり前に使っていた。使える物は捨てることなく、馴染んだ物を繕ったり、修理したりして使っていたので、自然と、大した価値のあるものではないが、いつまでも一世代も、二世代も前の物が使われていた。

ボン、ボン、ボン、と独特の音を出す柱時計のゼンマイが古くなって、動かなくなったのは残念だったが、誰も捨てようとせず、屋根裏で休んでいる。

子供が小学校の頃、「古い物の絵と説明を書いてきなさい」というので、「おじいちゃんのところにいっぱいある」と言って、描いていたのが足踏み式のミシン。母がシャレたブレザーやシャツをあつらえてくれていた。洋裁が上手だったので、横浜に住んでいた頃は「銀座○○」という店のオーダーの服を縫っていた。まだ二階の一室の真ん中に置いてある。 数年前、友人の大工さんが、仏壇の背板が壊れているのを見つけて修理してくれたが、引き出しの裏に○○何年何の誰がしと、江戸時代の年月と名前が墨字で書かれていた。それを見つけた友人が一言「昔の人は、良い仕事してるねぇ」。》

魚料理の付合わせにマッシュポテトを作っていました。私どもでは、大きな男爵イモの皮をむき、四つ切りにして良く洗い、水から塩を入れてボイルします。

昔の作り方では、皮付きのままオーブンで火を通したり、ボイルしたりしてから皮をむき、裏漉し、牛乳、バター、塩とナツメグの粉で味をつけます。

この方法と現在の作り方の違いは、最初に塩分が入るか入らないかの違いです。私どもの作り方の、最初に塩分が入る方は、直接ジャガイモに塩分が入るので、後者よりも味がまろやかになります。

後者は水と接触していないので、ジャガイモの味が水に逃げず、味濃く、深く、しかし塩味が立ってしまうので魚料理には向かないと思い、私は使いません。肉料理向きです。

また、このマッシュポテトにシュークリームの砂糖なしのシュー生地を合わせたフライ、ポムドフィーヌが有名です。おっとこれを書こうと思ったのではないのです。

マッシュポテトを、馬の毛の裏漉器で漉しているとき、ハッと思いました。そう、確か7~8年前に店から6~7分のところに住んでいる裏漉職人のお年寄りに直してもらったんだと。その前は35年ほど前に直していたんだと。そして35年前も7~8年前も同じで、お金を払う段になって「お値段は?」と聞くと「今回はいいよ、タダで」と。「あんたのじいさんには、私が小僧の頃、大変世話になったんだよ。だから、いいんだよ」。「それと、これオマケ」と、小型の裏漉器も渡されました。

これには困りました。「次回に頼めませんから」と云って、玄関の上がり框に1万円を置いて、逃げるように帰ってきました。確か7~8年前も同じでした。

この裏漉器は、父の代から使っているので、たぶん半世紀以上使っていると思います。

私たちのような職人仕事では、単純な道具ほど、その時代の1番良いものを買い求めた方が良いと思います。良いものは高価ですが、その分、使い勝手が良く、また長持ちです。

例えば、包丁ですが、最初に買えたのが皮むきとペテナイフ。刃渡り12~13cmの包丁です。下働きには1番必要な包丁です。そのためペテナイフは、現在、私と同じ4代目で、もう刃が5cmほどしか残っていません。

初めて牛刀が買えたのが、ホテルリッツに入って最低賃金より10フランだけ多いときでした。この包丁も、今から5年前に、ついに柄が中から腐ってしまい、フランス製なので直せませんでした。この包丁は、日本の包丁ほど硬くなく、骨が叩けるので重宝しておりました。仔羊の肋骨の軟骨など、簡単に叩き切れました。日本の包丁だと刃こぼれしてしまいますので、きれいに骨を抜くのですが、これだとローストしたときに骨の断面からジュースが出ないのでよろしくないのです。

やっと買えた包丁でしたが、わずか40年の寿命でした。

これは私が悪かったのです。包丁を洗った後に、しっかり乾燥させなかったため、柄のなかの茎(なかご)に水が伝わり、錆びて腐ってしまったのです。これは以前、私の妹から云われたことだったのです。妹の明美が井川駐仏フランス大使夫人付のメイドになったときに、奥様から、柄が象牙や木製のナイフは水に漬けてはいけませんと、上記の理由まで教えていただいたのを私に知らせてくれました。それを、たかを括っていた結果です。

話がそれましたが、まな板は、私が8歳の頃、60年前の物ですが、まだ厚みが5cmあるので、たぶん後80~90年は保つと思います。

今回の話を家内にしたときに、「そういえば、5年ほど前にお客様が、自宅を整理していたら出てきたのよ、ごめんなさい、と云ってお持ちいただいたのがありましたね」と。私が5歳ぐらいのときの、ステンレス皿が出てくる前の、龍圡軒のマークの入った楕円の瀬戸物の皿でした。私も家内もびっくりしました。

また他には「ごめんなさい。お宅のナフキンを持って帰ってしまいました」と、きれいに洗い、アイロンをかけて送っていただいたお客様もおりました。

また逆に、お客様の忘れ物をお届けしたフランス語辞典の水野明路先生や、東芝の原子力の宮本様など・・・。料理屋とは、面白い職業ですというお話しでした。