陸上自衛隊が、部隊運用の考え方(組織の在り方と言った方が適切かもしれませんが)を大きく変えた時代の変化がありました。

冷戦崩壊とともに、ソ連との全面戦争を前提にした、大量の戦力を集中して大量の損耗を強いる戦争を想定する時代が終わり、災害救援活動、対テロ、PKOなどの治安維持活動といった「戦争以外の作戦」が軍隊の任務として与えられるようになりました。

それまでは「軍隊のやる仕事ではない」と、一段と下に見ていた活動でした。

冷戦時代、情報は本国のトップから末端組織に向かって一方的に流され、組織全体が統一された指揮の下で一糸乱れず、統制の取れた活動をすることを良しとしていました。

しかし、「戦争以外の作戦」では、小さな部隊が、政治的なニーズを任務として、常に衆目の下で、しかもメディアの目にさらされながら活動するようになりました。

リアルタイムで世界中に情報が流れていきますから、本国にいるトップの判断を待っていたのでは間に合いません。現場指揮官の判断に委ね、本国のトップはその結果を受け入れるしかありません。軍隊のトップだけではなく、政治家もまた、その結果を受け入れざるを得なくなりました。

元々、陸上自衛隊(陸軍)は、地域毎の状況に応じて、指揮を分権するのが当たり前で、それまでは、分権すると言っても1佐(大佐)レベルのイメージでしかありませんでしたが、部隊の規模が小さくなると1尉(大尉)以下にまで階級が下がり、年齢的には、一挙に10~20歳くらい若返らなくてはなりません。

それまでは、一人前の幹部が育つには「10年は必要だ」というのが共通認識でした。それが10年も待っていられない。20歳代で国を代表して活動し、語ることのできる人材を育成しなくてはならない。

つまり、人材育成の考え方を根本的に変えなくてはならないということですが、現実には、人材育成の考え方を変えると言うよりも、上級指揮官がそのような現実を受け入れ、若い人たちに任せることができるかどうかと言う「意識の問題」の方が大きかったように思います。

そのようなとき、日米の陸軍トップの会談で、同じ悩みを語り合う機会があり、その結論は「現場指揮官に委ねるしかないのだから、若い人たちを信じよう」というものでした。

他に選択肢はなかったのです。

トップ・リーダーができることは、できることは、適任者を選び、派遣する前の教育訓練の場を整え、教育の機会を与え、活動を支援する万全のバックアップ態勢を整え、その結果を受け入れる覚悟と信頼を持って派遣することしかありませんでした。

できるだけ早く情報を入れて、現場の者が働きやすい環境を作る。

後悔することがないように、たゆまぬ改善処置を積み重ねていく。

そして、少しずつ成功体験を普及していく。

こうした経験は、すでに30年前の話でした。

組織の形は変わりませんでしたが、人の意識は大きく変化しました。

トップ・リーダーの意志を組織内に徹底し、トップダウンで組織を動かそうとする意識から、組織を代表して働く現場の若いリーダーを、組織を挙げて支えていく意識に大きく変化していきました。

そして、すべての者たちが、現場の情報、現場の活動に影響する情報に、よりセンシティブに反応するようになっていきました。

この変革は、環境の変化を受けて、起きたことではありましたが、もっとも重要なことは、トップ・リーダーの意識の焦点が現場に向いたことにあります。

トップ・リーダーが、与えられた「戦争以外の作戦」の任務遂行に対する評価は“現場にある”と判断したから、組織全体の変革が起きたのです。

もし、「俺の言うとおりにしたら巧くいくのだ」と言っていたら、あれほど円滑な意識の変革は起きなかったでしょうし、組織が硬直化していたかも知れません。

組織というものは、所詮、トップ・リーダーの意識以上に働くものではありません。

部下に対して不満を述べる暇があれば、命じて動かせば良いだけの話です。それをしないことが問題なのです。

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