《いつもフランス料理のフルコースのように、さまざまな話題が数珠つなぎに出てきます。こういう発想って、創造性が豊かだね、という一言で済まされそうなのですが、どこから生まれてくるのか考えたことがありますか?

私は、子供の頃に体験した自然のなかから生まれてきたものではないかと思っています。遊び心と言いますが、最高遊びは自然のなかでの遊び。時々刻々と変化する天候、気象、海象の変化。風、雨、暑さ、寒さ・・・。雲の動き、虫の姿、花や、葉や、石や、木や、川や、あらゆるものの無二の造形の美しさ。

こういう自然に接する経験がある人と、人工の造形物や思考の範囲のなかでばかり過ごしている人との違い。それが創造力、発想の豊かさになって現れるのではないか、と思っているのですが、如何でしょうか。

そしてそういう人たちは、幾つになっても、自然を愛し、環境の変化を受け入れ、遊び心を忘れないのだと思うのです。(A.Y)》

前々回のカレーの話です。

答えは簡単で、皆さんが思っているカレーは、シチュー(煮込み料理)と思っていらっしゃるようですが、カレーは煮込み料理ではないので、カレーのルー、すなわちソースとチキンを別々に作るだけです。

浸透圧の問題で、味は味の濃いものから薄い方へ流れます。味の薄いものから濃いものへは絶対に流れません。チキンカレーなのにチキンの味が薄かったとの報告ですが、チキンの味がルー、すなわちソースの方へと味が滲みだしてしまったのです。カレーソースは別に、フランス語ではFondフォン、日本語ではスープストックと言っていると思いますが出し汁です。

ですから、次回には、野菜を炒め、小麦とカレー粉を入れて火を入れて通し、このスープストック(出し汁)でのばし、火を通してカレーソースを作っておきます。

注文が入ったときにチキンをさっと炒めて、カレーソースに入れるわけです。

これが基本的にレストランなどで、ビーフカレーにはビーフを、チキンカレーにはチキン、そしてポークカレーにはポーク、シーフードにはシーフードと云ったレパートリーが出来るわけです。

現場に立っていれば分かることですが、他の方法もあります。それはシチュー(煮込み料理のものの考え方)。ここで大事なことは、しっかりしたスープストック(出し汁)が必要です。

食べたい料理、ポークやチキンを3cm角に切り、塩、胡椒をして鍋で炒めます。そして人参、玉ネギ、少しのセロリを2cm角に切ったものを入れ、さらに炒めます。炒める目的は、表面に膜を作り、味が外に逃げないようにするためと色つけです。

そこへ繋ぎになる小麦粉を入れて軽く火を通し、そしてカレー粉を。

できれば白ワインで鍋の底に焦げ付いた(これは材料から出た味です)ものを戻し、スープストックを入れて、ニンニク、タイム、オリーブの葉を折って入れ、味を整えて煮込みます。市販のカレールーを使うときは、小麦粉とカレー粉の部分を省き、ルーのなかに濃縮されたスープストックも入っておりますが、できれば水ではなくスープストックで作ると、より奥行きのある味になるのでお薦めします。

ちなみに、ジャガイモは一緒に入れて煮込むと煮崩れるので、私は、別に茹でて最後に入れます。

蛇足ですが、煮込み料理は当日よりも翌日の方がおいしいです。

その理由は、中に入れた具材が熱によって膨張します。冷めていくときに出しやソースの味が具材のなかに入って行くからです。

魚のカレーの煮付けは、煮物ではありません。別に駄洒落を云っているのではないので。

それは上記のポークカレーやチキンカレーと同じものの考え方です。しっかりした出し汁で、さっと火を通し、カレーの味の出し汁を楽しむのです。

で、前々回の件ですが、現場を2~3年経験してからその担当の人に当たって欲しいです。どうも頭でっかちのような気がします。

話はガラッと変わります。

2年目のバカンスは、ブロターニュの漁港Concarneauコンカルで過ごしました。師匠、ムシュ・ドゥラベーヌのご友人にムシュ・ポルチエという、やはりMOFでブロターニュに二つ星のレストランのオーナーがおられます。

この方が師匠の師匠で、何の師匠かというとヨットです。何回か、ムシュ・ポツチエのヨットに乗せていただきました。師匠はこのときにヨットに魅せられたのでした。そして、54歳にてヨットマンになり、外洋試験を受けられたのです。

今でも覚えています。嵐が来る2~3日前から、師匠がなぜか気が立っていました。そして4日ほど師匠の顔を見ずに仕事を。それはそんなに珍しいことではないので、私たちは気にも留めませんでした。

そして翌日の夜、満面の笑みで帰って来ました。試験に合格して、その夜、店のバーで夜中の1時過ぎまでその試験の内容を、身振り手振りを交えて話してくれました。もちろん酒も入っていましたが。

それは嵐の中でヨットを転覆させて、そのヨットを起こして乗り組む試験で、それが出来ないと待っているのは死だから、というのは素人の私にも分かります。よほど嬉しかったのか、何回も同じ話をして、奥様に「また同じことを云う。もう遅いから寝なさい」と怒られていました。

怒られると云えば、飴細工でした。

それは夜、店のサービスが終わって、夜の11時頃から飴を焚いて、バラや葉を習って作っていました。バラは実物を買ってきて、花びらを分解して同じように作る練習をしました。そしてバラはつぼみ、それと花びら2枚をつけてバラが出来るようにと教わりました。昔、15歳のときに、洋菓子のコロンバンの大阪工場で、バタークリームでのバラ作りを教わったときにも、「一番重要なのはつぼみ」と教わりました。

これが出来ないと、仕上がりがキャベツになってしまうのです。この飴細工も、私たち弟子が付いて来るので、師匠も楽しくて、夜中遅くまで教えてくれていました。

奥様が夜中の1時くらいに寝巻の上にガウンを羽織って調理場に降りてきて、「何時だと思っているの。早く寝なさい」でした。今考えても、幸せなときでした。

ノルマンディーの川の漁業権を買って毛針のマス釣りに連れて行ってくれたり、イノシシ狩りにも連れて行ってくれたりしました。もちろんヨットも。

びっくりしたのは、ヨットの底、船底の掃除です。

潮が一番引く数日前に、船を浅瀬に移動してつっかい棒を降ろし、潮が引いて船底を現してから掃除します。船足を遅くする、船底に付いているフジツボや貝を取り除きます。赤い船底から。

皆さん、なぜ船の底の色が赤いかご存じですか?それは銅が混じった塗料が塗ってあるからです。銅は重いので重心が下がるのです。それでフジツボを外すときには、竹のヘラで外します。銅が柔らかいので、金属では傷が付いてしまうからです。

その後、師匠の元へ、世界一周レースに料理人として参加しないかとの話が来ました。

私たちも、その話を聞くのが楽しくて。その話のなかに、ヨットの長さが15m以上必要だとの話。それは嵐のときに南米のホーン岬を回るときに出来る波の高さが10m以上もあるからだそうです。

本人もその気でヤル気満々でした。そう、でした、です。それは奥様の一言、「いい加減にしなさい。あなたはこの人達の職を守る責任があるでしょ」でした。