《私たちは、人生という、自分にしかできない自分だけのストーリーの旅をしています。私が、それに気がついたのは、いつだったのか・・・。

皆、ときどき、自分というものを意識するのですが、ゆっくりと自分を見つめている余裕がなく、周囲に合わせることばかりに気を取られます。周囲を気にし過ぎていると回りが見えなくなり、ついには、自分自身をも見失ってしまいます。

映像とともに流れる音楽によって、自分だけのストーリーを作ることを邪魔されてしまい、無理をしながら、流される音楽に合わせたストーリーを作りながら映像を見てしまう。そのうち、風や雲や空や太陽などの“自然の営み”のなかで生きている自分の影が写らなくなっていくのです。

今回は、自分の姿を見失って、心が傷ついてしまった人の話でしょうか。

コロナ禍の環境。一人ひとりが自分自身を見つめ直し、自分が大切にする価値観や善きものを再認識する良い機会を与えられているのではないか、と思っています。

自分だけのストーリーを作ることに熱中して、人生の旅を歩いて行きたいものです。(A.Y)》

昨日、前にも書かせて頂いた、トラムの旅。フィンランドのヘルシンキを見ました。

今回の放送では、全編にわたり音楽が流れているので、私はがっかりしました。それは町の様子、そう、その場の様子が、町の雑踏の音の方がよく分かると思うのです。時間は映像のなかの影で、想像がつくのですが、多分プロデューサーの方は、名所でない住宅の静けさが番組的に寂しいと思われたのだと思います。

実はこの頃、つくづく思うことがあります。

つい1ヶ月ほど前に、例の歯医者さんの治療から帰って来ると、見知らぬスクーターが店の前のマンションの緊急車両用の駐車スペースに止まっていたのです。それで荷物を店のなかに入れながら、スクーターのナンバーを控えて、管理人さんのところに伝えに行きました。

生憎、どこかに行っておられておられませんでしたので店に戻ると、そのスクーターの持ち主が帰ってきました。それで「ここは緊急用だからダメですよ」と云うと、「分かっているよ。今どかすよ。どかしゃいいんだろ」と返事がありました。ああ、この人に云ってもしょうが無いと思い、動かしているのを見ていると、スクーターを車道に止めると私の方を見て「何見てるんだよ」とくってかかってきました。

ああ面倒くさいな。いい大人が。もう40歳代なんだろうと思い、黙っていると、更に大きな声で「何だよ。何見ているんだよ。文句あるのかよ!」と、ヒートアップしていったのです。何か云えばヒートアップするので黙っていると、私に更に詰め寄って怒鳴ってきました。近所の30歳代の方が心配そうに見ながら行かれました。しばらく怒鳴って、最後に「店をやっているのか。覚えてろ!」と捨て台詞を吐いて行ってしまいました。

私、個人のことならば良いのですが、店が絡んでくると対処しなければと思っていると、そこへ先ほどの30歳代の若い方がスーパーの買い物帰りに寄ってくれて「大丈夫でしたか?警察に通報した方が」と云っているところへ管理人さんが現れ、経緯を説明すると、「今の若い連中は危ないから、警察に通報しておいた方がいいですよ。防犯カメラの映像は取っておきますから」でした。それでおふたりに「ありがとうございます。知り合いが警察におりますので、すぐに電話を入れます。ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした。ありがとうございます」。

で、すぐにこのエッセーに何回か登場して頂いた女性警官さんに電話を入れると「岡野さん、それは大変でしたね。分かりました。今、多いんですよ、そういうことが。私の同僚がこの4月から麻布署に異動になっていますから、すぐに連絡を入れておきます。何かあったら、どんな些細なことでも110番してください。それから岡野さんが、渋谷署から異動して今110番にいますから、メールを送っておきます。いいですか。110番ですよ。また近いうちにお店に伺います。では、お気を付けて」でした。

この私と同じ名前の岡野さんも前に出ていただいた方で、通訳のボランティアの方々と6名で店にお越しいただきました。このとき、中国語、韓国語、スペイン語・・・と最後の方が茨城弁で、大笑いしたときの話を書かせていただきました。

すると電話が鳴り、「麻布署の警備課の何々と云います。ただ今、何々さんから連絡をいただきました。何かありましたら、すぐに110番して下さい。すぐに動きますから。本来ならば、お伺いしなければいけないのですが、赴任したばかりなのでなかなか席を空けることができず、申し訳ありません。何かありましたら、必ず110番して下さい。向かわせますから」でした。

なんと早い。早速、彼女に御礼の電話を入れました。本当に安心しました。そして、その2週間後に警備係長さんがわざわざ店の方にお顔を出して下さいました。お名刺まで頂戴し、「何かありましたら、私の方へ。いや、110番して下さい。110番はこの地域の警察官全員が聞いておりますので、一番近くの警官がすぐに動きますからご心配なく。また、何か分からないことがありましたならば、今、生活安全課というのがありますから、私の方に御連絡を。では失礼いたします」でした。

本当に申し訳ないと思い、御礼を申し上げました。そしてすぐにまた、彼女に御礼の電話を入れさせていただきました。

今朝、いつものようにテレビを見ていると、また訳の分からない煽り運転の映像が流れてきました。この映像を見なければこの話は書かなかったのです。

そのときに思ったのです。

どうした、日本人。

あっちを見ても、こっちを見ても、まるで私が小学校の低学年の頃にはやったスピッツみたいにキャンキャン吠えて。なんでこんなに弱くなってしまったんだ。日本人は、世間が狭い人が多くなったように、いや前回書いた100人いれば100通りのなかで生きていくことが難しい人が増えたように思います。

スクーターの件では、私は普通に「ここは緊急用だからダメですよ」と云っただけで。もし私がスクーターの持ち主だったならば「あ、すみません。今、すぐにどかしますから」で済んだ話です。もっと元を質せば、そこに駐車しなければ良いだけの話です。

駐車と云えば、どうも龍圡軒のある場所が駐車しやすい場所にあるようで、しょっちゅう車が止まります。その都度、家内が、先ほどのスピッツのように移動させに行きます。そのときに私は「優しく丁寧に言えよ」と家内に云います。そう云えば、すぐにどかしてくれますから。

家内の云うのも分かります。店の前の空きスペースは、緊急車両用の駐車場なので車が入りやすいように下がっているのです。簡単に云えば、駐車場の入り口に車を止めますか?さらにすぐに左側の曲がり角で、曲がりづらいところになぜ止める?です。ごもっとも。

ラジオを聞いていても、肝炎の政府保障を請け負っている弁護士事務所の宣伝で、急ぎ立て、煽るような早い宣伝文を読み上げています。私は不快を感じて、すぐにラジオを切ってしまいます。一種の言葉、音の暴力で、また文化放送もよくもこんなものを流していると思いますし、文化放送の良識を疑います。

渋谷に行けば、張りぼての大きなトラックが右翼の街宣車さながら大音量で、若者向けの音楽を宣伝し回っています。どんどん刺激的に、味も、前に書かせていただいたように、味が濃く刺激的になっていきます。

今の社会、私が子供の頃に読んだ絵本のなかの世界。増えすぎたネズミが集団自殺している場面のように写り・・・。

誰かが警鐘を鳴らすときが来ていると思います。 このコロナ、ある意味、大変よい機会なのかも知れません。

《今回を龍圡軒四代目当主、岡野利男さんのエッセーを一旦、終わらせて頂きます。

人間、皆、誰もが当たり前の人生だと思って生きているのだろうと思いますが、実は人それぞれのドラマのなかで主人公を演じています。そして、どんなことがあっても、主人公が主人公を演じ続けなければドラマは成立しません。

エッセーのなかには、個人的な経験だけではなく、ご自身が受け継がれたレストランの物語、そこからお感じになった日本の歴史や伝統、加えてフランス人やフランス社会から見た複眼的な世界が、明るく広がっておりました。

日常生活のなかで起こるさまざまな出来事や出逢いを受け入れながら、当たり前のように歩みを進めていく、自然体の、前向きな姿が、極めて率直に語られていたところに、大きな共感がありました。

岡野利男さん、ありがとうございました。 (災害防止研究所 吉田明生)》

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