1 概要

1880年(明治13年)2月22日0時50分頃、マグニチュード5.5~6.0程度と推定される横浜地震が発生した。

横浜に建てられていた洋風建築で煙突の破損や家屋の壁の剥落があった。

日本人にとっては大したことのない地震であったが、明治維新以降、日本に招聘していた多くの欧米の研究者や科学者、技術者など(約8000人)に強い衝撃を与え、これをきっかけに同年、英国人ジョン・ミルンにより、日本で地震学会が創設された。

2 地震学会の創設

工部省で鉱山技術を教えるために1876年に来日していたイギリス(イングランド)出身の鉱山技師ジョン・ミルンJohn MILNE(1850~1913)は、地震が起こった際、外国語新聞「ジャポン・ガゼット」の新聞購買者に、揺れた方向や、家の被害、壁のひび割れの状態、体への感じ方、地震の前後の地鳴りなどについての質問票を配布し、地震被害を集約しようとしたが成果は得られず、地震計による科学的な調査の必要性を感じた。

このため、同年、ユーイングらと日本地震学会を創設し、地震研究の学者を集め組織的な研究を進めることになった。

1911年に発足したアメリカの地震学会に比べ30年以上早い創設であった。

日本では、1872(明治5)年に函館の気候測量所で日本最初の気象、地震観測を開始。1875(明治8)年に、気象庁の前身「東京気象台」が設けられていた。

3 ジョン・ミルンJohn MILNE(1850~1913)

ミルンは、1891年(明治24年)の濃尾地震を記録したTHE GREATE EARTHQUAKE IN JAPAN(日本の大地震)を刊行して、その被害のようすを世界に伝えた。

耐震建築の研究を行うとともに、1894(明治27)年には遠隔地の地震を捉えるための光学式記録の「ミルン式水平振子地震計」(現在国の重要文化財)を制作した他、地震の現地調査、人工地震の実験に至るまで地震についてのあらゆる方面で活躍「近代地震学の父」と呼ばれた。

1895年に帰国してからは、イギリス南部のワイト島に地震観測所を作り、世界地震観測網の構築に努めた。

ミルンは日本人堀川トネと結婚し、1895(明治28)年に英国に夫人を伴って帰国。英国ワイト島で世界規模の地震観測を続けたが、1913(大正2)年に死去。その後、トネ夫人が日本に帰国したため、夫妻の墓が函館にある。

4 ジェイムズ=アルフレッド=ユーイングSir James Alfred EWING(1855~1935)

  イギリス(スコットランド)出身の物理学者。東京大学理学部で機械工学を教えるために来日し、後に物理学の講義も行った。

日本滞在中に物質の磁性の研究を行う傍ら、水平振り子を使った水平動地震計を考案し、さらにバネを使った上下動地震計(グレイ[Thomas GRAY,1850~1908]の考案)を改良して、地震観測の基礎を作った。

帰国後は地震学から離れて物理学・機械工学の研究に戻り、スコットランドのカレッジの教授、ケンブリッジ大学の教授を歴任し、最後はエディンバラ大学の副学長を務めた。

〈参考〉

地震学偉人伝 その1 ジョン・ミルン (PDF) 」 『なゐふる』第95号、日本地震学会

nf-vol95 (zisin.jp)

【警戒せよ!生死を分ける地震の基礎知識】世界初の地震学会を日本に作った英国人 はじめて体験した恐怖胸に刻み 1/2ページ) – zakzak

 “日本で地震学を始めるのに大きな貢献をした2人の科学者 – ミルンとユーイング”. 

国立科学博物館地震資料室国立科学博物館https://www.kahaku.go.jp/research/db/science_engineering/namazu/02keiki/keiki_html/03_06t1.html