パリから一転、地中海へ。でも、パリが都会で地中海が田舎だ、という対比ではなく、別ではあるけれど、対等な関係の別世界だというような雰囲気もまた、フランス人の個性を重んじる気風、独立自尊の心意気でしょうか。また、環境に関わりなく、すべてのものに対する感謝する気持ちが人を育て、人を成長させるのは、万国共通の大切な価値観だと思います。

皆さん、地中海というと、どのようなイメージをお持ちでしょうか?最初に出る言葉は、太陽ではないかと思います。それは間違いありません。次が、多分、海か、オリーブでしょう。それもその通りです。

しかし、たかだか丸2年ですが、生活者として残っている印象はまったく違っていて、洋服代がかからないのが第一。大体がGパンにTシャツで、冬でもそれにセーターとブルゾンで十分です。スーツを着ているのは銀行の支店長くらいで、制服を着ているのは警察くらいでしょうか。あとは仕事着です。

第二は、昼寝。地中海の第一の産業は、農業、漁業や工業ではなく、観光業。それもバカンスに関するもので、シーズンの仕事なのです。ですから、夏の6月から10月までの5ヶ月で1年分を稼ぎます。夏の観光業は夜の時間が長いので、レストランは2回転します。終わるのが夜中の12時半から1時で、それから遊びに出ます。バカンスに来た人たちも、昼間は暑いので、海に行くのは午前中か、午後の4時以降。だから昼寝します。

そういうところに、ドミニックに呼ばれて来たのです。

レストランの名は、Les Santonsレ・サントン。プロバンス地方の極彩色の粘土人形のことで、オーナーはM.Girardジラルドゥ氏です。私は、この店、というより、ジラルドゥ夫妻に大人にしてもらったと、今でも感謝しております。この話はのちほど。

店は大変面白いところにあり、4階建てなのにどこから入ってもそこが1階になっているようなお店でした。メインの道路から左回りの上り坂に店があり、メイン通りの4段下がった入り口がレストランのホールから見ると地下にあたり、洗濯場、従業員の食堂と倉庫、トイレと、カーブで少し坂を上ったところに5段の階段があり、レストランの入り口。これが1階になります。ホールと調理場、そして離れの小さな家があり、そこが男子寮と庭になっていました。

さらに店を回るように坂道を登ると、2階の入り口があり、そこでパンとデザートを作っていました。さらに坂を上がると、車が2台置ける駐車場があり、その奥がオーナーの自宅と女子寮でした。本当に不思議な造りの建物でした。

料理は2つ星のオーソドックスなフランス料理で良かったです。

今までのお店と違っていたところは、都市ガスではなく、プロパンガスでしたから、燃料費が高いので、煮込み料理はパンの電気オーブンの予熱で火を通していました。なぜピザが石の薪窯で発達したのかがよく分かりました。石造りの家なので、生活面でも違っていました。昼間の熱い日光を部屋の中に入れないように、厚いカーテンで遮断し、夜には、鎧戸を閉め、窓もカーテンも全開にして、外気を取り込んで、石を冷やしていました。夜は、意外に涼しかったです。

また地形的な問題で、海からすぐ近くにアルプス山脈があるので、水を貯めておくダムが少なく、水道代が高いので、掃除には井戸水を使っていました。都市に生活していると分からないこと、いや都市に生活するということが非常にコストのかかることなのだということが分かりました。

日本に帰ってきてから、若い人たちには、水道の蛇口を非なるときれいな水が簡単に出てくるけれど、これは今まで何万人という人たちの努力で、私たちが恩恵を授かっているのだから大事に使えと、この話をしていました。