徳川家康が最晩年に隠居所となる御殿の造営を命じたことに由来する。この御殿は家康の存命中には完成せず、住むことはなかった。

1912年(明治45年)に陸軍が演習場を開設。軍隊の町という性格を帯びるようになり、現在も陸上自衛隊の3つの駐屯地(板妻、駒門、滝ヶ原)と本州最大の演習場である東藤演習場、在日米軍海兵隊のキャンプ富士地区があり、市域の3分の1が防衛関連で利用されている。

人口約86000人、約38000世帯で、自衛官が多いため若年人口が多い。

歴史、自衛官及び自衛隊関係者の多さは、自主防災組織の充実などに好影響を与えているのではないかと思う。

防災施策は、地形等の地域分析が、的確に、災害対策に活かされている好事例。 まずは、三つのプレートがぶつかる地域にあること。地震と連動して起こる火山噴火等の複合災害が防災の焦点。1707年の宝永噴火で壊滅的な被害を受けたことが有名で、火山噴火への備えを重視している。

地震対策の焦点は相模トラフ地震で、これは地盤(プレート)との関係だろう。

次は、稜線、水系。

富士山溶岩流は、稜線によって区切られる17のエリアに区分して、避難対象ラインを設定している。

そのうちの大きな稜線が市内中心部、おおむね御殿場駅付近を東西に流れ、分水嶺を形成し、南部は駿河湾へ注ぐ狩野川水系の黄瀬川、北部は相模湾へ注ぐ酒匂川水系の鮎沢川の流域になっている。このため、雨水が滞留することはない。

昔は富士山山麓からの土石流災害があったが、土木工事が充実した今はほとんどない。

次は、気象。

御殿場市域の主な災害は台風、大雨、大雪災害。愛鷹山、富士山、三国山、箱根山系に囲まれているため、南方から吹き込む風の道に当たる。台風の進路予想に基づいて、風・雨・雪の警報、対策等を準備するよう考えられている。

基礎資料をキチンと分析して、効率的、論理的に対策が用意されている。

御殿場市では、1つの災害対策本部の下に、6つの支部を置き、59の区から各区内の班・組までを組織化し、災害情報、指示・報告の流れを統制している。

市役所(支所)、消防署、消防団、建設業会の連携を取って、実効性を強くしている。

合い言葉は、「上りの情報・下りの指示 ご苦労(59・6)重ねて一(1)になる」。

消防団が実働できているということだったが、市の職員647名のうち80名が消防団に加入し、農協の採用試験では「消防団に入りますか」という質問があるという官民一体となった施策推進の努力と意識の高さが、自主防災組織、業会との連携の実効性を高めている。

この組織を活かして、年間の防災訓練計画(順次表)を策定して、実行できているところが素晴らしい。

短期間で人事異動する市の職員に、如何にして危機管理のノウハウを定着させ、レベルアップを図っていくかに、努力されている。

杉本嘉章危機管理監以下、3名の陸上自衛隊OBが、経験を活かして腐心されている。

参考になると思われる資料がたくさんあるが、なかでも

『御殿場市避難所運営マニュアル【改訂版】』(平成31年3月)はとても使用者に便利で、『本編』『資料集』『様式集』の三部作で、平易な分かりやすい内容にまとめられている。(HPに掲載されているものとは、異なるので、念のため)