8月28日(金)岩瀧神社(三重県伊勢の皇大神宮別宮滝原宮の側)にて、災害防止研究所理事の書家・柏木白光先生に、伊勢展示事務所の看板を揮毫していただきました。

御祭神の国之狭槌神(くにさつちのかみ)と天之狭槌神(あめのさづちのかみ)は、大山津見神様[山の神様]と野推神様[野の神様] から生まれた神様。『日本書紀』では、国狭槌尊は、国常立尊に続いて『天地開闢』の最初にあらわれた神世七代の第二の神で、最初に出現した土の神格化とされている。  

神社には、『岩瀧神社』とあるが、神社庁や地図では元の名の「大滝神社」と表記されている。

【由緒】

崇神天皇58年巳春、豊鋤入姫命より倭姫命に事寄せ給ひ、同60年 未冬此地の西南十曲ケ国獄に後降臨の事を秋志野々宮で宇多の大采称奈ノ命へ教へ給ひ、直に迎え奉り鎮座されたと。また、垂仁天皇25年丙辰春倭姫命行啓の時、大田命の啓行によってこの地に至り給い、この岩滝の上りに鎮座されたことが古老の伝えに残っている。

明治4年(1871)以来村社、明治8年(1875)12月郷社となる。明治40年(1907)11月20日岩滝神社境内社・船木・三瀬川の各社を合する。阿曽村八柱神社およびその境内社、他の阿曽各社を合祀の上、明治41年(1908)10月9日滝原長者野に移転、合祀の上大滝神社と単称、明治42年3月1日合祀を完了した。

昭和21年(1946)2月2日勅令第71号により社格廃止、勅令第70号宗教法人令により昭和21年5月10日宗教法人となる。

防災に相応しい最高の神様の下で、まさに「ここに神宿る」ような素晴らしい看板を揮毫していただき、一同、今後のさらなる発展に向けて、決意を新たにしました。