《若い頃は宗教やお墓に関心はありませんでしたが、年を取るにつれ、親や親しい方が亡くなったり、色々な方との出逢いがあったりするなかで、お墓や宗教家との関わりが多くなり、精神的な世界への関心が強くなってきたように思います。

 私が広報室に勤務していた頃、ルワンダ難民救援隊が派遣され、帰国した隊員が「難民救援隊として派遣されたが、医療支援で救える人よりも、死んでいく人の方が遥かに多い。難民救援ですべきこととは何だろうか」という現実を語っていたとき、別用で米軍の動きを調べていると、米軍は軍用機で相当数の宣教師を送り込んでいることが分かりました。

これをどう捉えるかは人それぞれでしょうが、身体を医療行為で救うことと、死にゆく人々の魂を救おうとすることと・・・。「人を救う」ことの深い意味を考えさせられる動きでした。

偶然、知ったことではありましたが、現役の時に、知り得たというか、考える機会を得たことは、自衛官という職にあって、誠に意義深く、有り難いことでした。 ・・・それにしても、今回登場する神父様。すごい方だと思います。》

私の人生には、どういうわけか墓地と宗教家がついて回っています。自分でも、どうして墓地の近くに住むのか、たまたまなのか、分からないのですが。

生まれは東京広尾の日本赤十字病院で、その後、0~15歳までは麻布新竜土町12番地で、岡野の墓のあるお寺まで、大人の足で4分ほどの所でした。

16~17歳は、東京千代田区の暁星学園の敷地内にあるリッセの寮で過ごし、18歳で渡仏し、最初のアパートがパリ郊外のBougivalブジバルで、3分ほどの所に町の墓地がありました。21歳、22歳ではありませんでしたが、23~25歳の地中海のレストラン、レ・サントンのあるグリモ村でも村の墓地まで歩いて7分ほどでした。25~28歳は、パリのモンマルトル墓地近くのアパートで、スタンダールや画家のエドガー・ドガが有名でした。帰国後の東京千駄ヶ谷のアパートは、窓を開けると墓地でしたし、現在の西麻布は、青山墓地まで1~2分の所なのです。

改めて、この稿を書いて驚いたのが、15歳以後、両親と生活をしたのがフランスに行く前の数ヶ月と帰国後の数ヶ月。そして店を建て直している2年だけだったのです。びっくりしています。

そして、もう一つの宗教家。

前出の貞源寺御住職の藤木さんはお客様でしたが、それ以上の友人で、大変博識な方で、色々お教えいただき、遊ばせてもらいました。鈴鹿8時間耐久レースの鈴木の予備車を持っておられ、私に「乗らないか」とお話しをいただきましたが、いかんせんレース用に仕上げてあって街乗りには不向きなのでお断りしました。惜しくもお亡くなりになり、今年17回忌になってしまいましたが、最後の愛車カワサキの1200ccを形見分けしていただきました。

龍圡軒は、支店を出している時代もありました。

戦前は、麻布区役所の支所で、現在の東洋英和女学院前にありました。戦後は、六本木から虎ノ門に向かって下った箪笥町に出しておりまして、その先にあった日本基督霊南坂教会の幼稚園に、姉共々に通っておりました。

園長先生の牧師様は非常に優しい方で、いつもニコニコしておられました。遠足の写真を見ると笑顔で写っておられます。今でも、その頃お世話になった先生から時々、電話をいただいております。

西麻布にあるキリスト教のみこころ幼稚園の事務長様がやはり神父様で、スクーターに乗られてお見えになります。また聖心のシスターも自転車で、教え子さんのご相談にのってお見えになります。

暁星では、私は教わっておりませんが、ヘグリ先生という神父様がよくお見えになりました。暁星の名物先生で、おじいちゃんも習いました。お父さんも習いました。だから「神父様に逆らったら私たちが許しませんよ」という先生で、お話しが楽しく、お見えになるのを心待ちにしておりました。

そしてもう一人方、私が感謝している神父様、たしか河村神父とおっしゃったと思います。今はどうか分かりませんが、その頃の暁星には宗教の時間があり、神父様が行いました。

中学2年か3年のときに、誰だか覚えておりませんが、キリスト誕生について「どうして生まれたのですか」と質問しました。

すると神父様が、今でもよく覚えておりますが、天上を見上げてしばらく黙っておられましたが意を決したように前を向き「この話は大変大事なことなので、次の授業にお話しします」とおっしゃって、授業を閉じました。

次の授業に、たくさんの資料を抱えてお見えになり、授業を始めたのです。何と性教育だったのです。それも正面切っての正々堂々と、人の性に関するすべてをお話になりました。

男女、ホモ、レズも、スカトロジー幼児愛など、ポルノもそのものズバリを見せ、そして性病、妊娠、出産に至るまでの授業でした。私にとって、暁星で一番良かった授業で、クラスの皆、真剣に耳を傾けておりました。

神父様、本当にありがとうございました。