《子供の頃、千切りキャベツは、口の中がモシャモシャするような気がしてあまり好きではなかった。ロールキャベツも、あれはまぁまぁという程度。

キャベツが好きになったのは、学生時代、初めて焼鳥屋に入ったときのこと。パラパラと赤い七味唐辛子がかかった山盛りの生キャベツ見て、横着してこんなもの出すなと思ったが、友人が美味しいよと言うので口に入れてみたら、何と美味しかった。

口全体で感じるシャキシャキ、パリパリとした歯ごたえが初体験で、キャベツの甘さに初めて気がついて、それ以来、生キャベツのファンに。今は、お好み焼きのキャベツというか、キャベツのお好み焼きは大好物で、まったくキャベツを意識せずに食べている。

通勤経路にある農園で、毎年春と秋に2回ずつキャベツを植えている。毎回、とてもキャベツに育つとは思えないチョロッとした苗から大きな葉を出し、ムクムクとキャベツ玉が姿を現す成長に変化があって面白い。とても美味しそうに見える。》

「Toshio なんで日本人が長寿なのか知っているか?」と師匠のドゥラベーヌ氏が日本から帰ってきて急に問われました。それは1971年のフランスに渡った翌年、私が盲腸になり、あの名作ドラマのベン・ケーシーのオープニングのようにストレッチャーに乗った後のことでした。

師匠はほぼ毎年、日本でフランス料理の講習を行っていて、好奇心旺盛な師匠は夏休みのグランドバカンスには20冊ぐらい色々な分野の本を持って行き、読まれていました。こんなにたくさん1ヶ月で読み切れるのかと思うほどでした。

それで長寿の話しですが、この71年に日本に行ったときに、東京の南千住の山谷に連れて行ってもらい、日本人はいったい何を食べているのかを見てきたそうです。あの時代、やはり西洋人は日本にとってお客様だったので、今日は何処何処の天ぷら、次はウナギ屋さんというように接待されるので、これでは日本は分からない、労働者たちが何を食べているのか見たいと云って連れて行ってもらったそうです。そこで見たものは、日本料理屋の定番、キャベツの千切りと櫛形のトマト、そしてパセリでした。

1960年代から急速に発展したサンプル食品には、必ずこの3種類がついていたのです。これを見て師匠は、すぐに気づきました。彼は、第2次世界大戦後にフランス政府の食糧庁の研究所、に席を置いていたことがあり、Glace Alsacienneグラス・アルザシエンヌという、現在も売っているインスタントアイスクリームの元を作ったのでした。ですから栄養学の知識も学者並みだったわけで、このキャベツの千切りがデパートの食堂でも、他のところでも付いているのを見て、こんなたくさんの生野菜を食しているのは日本人だけだと云っていました。これは調理の熱で壊れてしまうビタミンを、知らないうちに生野菜から食べていたこと、当時の私には「はあ~」と思って聞いていました。私にとってはごくごく当たり前なことで、生まれが料理屋なので物心が付く前から目にしているわけで、特別とは思ってなかったからです。今考えると、確かにあのキャベツは素晴らしい食物で、食料の量も増やしますし、あまり自分を主張しないので他の食品とも相性が良いのです。だから当たり前のことですが、日本全国で食べられています。

人はあまりにも身近にあることには関心を持たないようで、自分と違うことには気づきやすくできているようです。

先月もあるお客様から、フランスに行ったときにパンが直接テーブルの上に置くのを見て、おかしいと云っておられました。ただこれには、オチがあります。前にも書きましたが、テーブルクロスがテーブルの上にあるのです。テーブルが小さい安価なカフェのランチでも布のテーブルクロスの替わりに紙のクロスを敷いて、その上に皿を置くのです。クロスが一種の食器的な存在に。そして、このクロスの上に直接オーダーを書き、料理が出ると、また直接これにチェックを入れ、会計もこれに金額を書いて済ます。この紙クロスのないところでは、柳の籠を置き、そのなかにパンを入れておきます。

たぶん衛生観念の違いだと思いますが、このときに私は云ってしまいました。「でも、日本人は皆、おにぎりを手掴みで食べていますが」と。ちょっと嫌みでした。ごめんなさい。

今、何を書こうかと迷っています。それは普通の日常生活のあれこれという話は、落ち着いて考えると「ああ、そうなんだ」と思うことがたくさんあります。

例えば、政治家の方が相手を納得させるときに接頭語のように「欧米では」とよく使っていますが、私の小さな知識でもヨーロッパとアメリカでは文化が全く違います。以前、よく使われていた日本の住宅についてですが、ウサギ小屋と云って小さいと云っていましたが、アメリカの広大な地に建てている建物とヨーロッパの建物では全く違います。どちらが良いと云っているではなく、それぞれの土地、風土に合った生活の連続からくる結果、現代に至っているのが事実です。

先ほど出てきたテーブルクロスは、私の知る限り、フランスではほとんどの家庭が食事のときにクロスを敷いていました。これは前にも書きましたが、テーブルを守るためと衛生です。たぶん、ここで突っ込みが入ると思います。クロスよりもテーブルを拭けば良いじゃないかと。日本にある便利な道具、布巾で。でも私はいつも思うのですが、この便利な台布巾が活躍しすぎると。そう、雑巾になっていませんか?この布巾がきちんと棲み分けされているのでしょうか。

保健所が私たち飲食業に指導するとき、調理器具や食器を洗った後はそのまま乾燥させて下さいと指導されます。その通りなのです。拭いている布のほうが不衛生なのです。もっと話せば、布の繊維は水分を保持しやすい物で食器類からの水分を移り取り、食器が乾くのです。しかし保持した水分はなかなか蒸発しないので、雑菌が発生しやすいのです。目に見える汚れよりも、こちらの方を気をつけたほうが良いと思います。

汚れと云えば、来週、姉貴分の優子が結婚記念日に食事に来られます。

前に彼女の母親、われらのおっかさんの誕生日パーティーを店で開いていただいたときに、小さな黒いエプロンを子供たちからプレゼントされていましたこの黒いエプロンは、Tablier noireタブリエ・ノワールと云って、フランス系カソリックの女学校、東京九段にある白百合女学園の伝統的備品です。優子も母親と同じ白百合でした。学園では何か作業をするときに着用するエプロンです。

私が居た1970年代のフランスの主婦は、午前中、ほぼ全員が日本で云う医師や学校の理科の先生が着る白衣の上っ張り、白ではなくピンクだったり、ブルー、また紺や黒の上っ張りを着て、家庭のことをしていました。なかには首からかけるエプロンの方もいました。それが白百合の伝統につながっているのです。

日本にも割烹着という便利なものがあるのに、この頃は見ることがありません。もったいないな~と。昔、云っていたTPOはどこへ行ったのでしょう。

https://www.saibouken.or.jp/archives/3428