今回の表題は、岡野さんのエッセーのテーマそのもののような気がします。経験は、甘いものばかりではなく、苦いもの、辛いもの、酸っぱいもの、さまざまですが、それを「良かった」と思える前向きさこそが、学びなのでしょう。失敗によって、成功に近づいたと思える気持ち。これで同じ失敗をしなくて済む、次は上手くやれるぞ、と思う前向きな気持ちです。

今から35年前のある日、私の父、3代目の武勇が、私の家内の静子に「静子、なんだい?あの“めいさい”とは」「えっ、“めいさい”ですか?」「そう、電車の吊りチラシにやたらと“めいさい”、“めいさい”と、あっちこっちに書いてある」「あ~、お父さん、その“めいさい”って、明るいと野菜の菜ですか?」「そう、その明菜だよ」「やだ、おとうさん。その“めいさい”って“あきな”ですよ。中森明菜って歌手の名前ですよ」。

笑い話のような話ですが、私も父と五十歩百歩で、テレビを観たことがなく、皆さまが楽しんでいる時間帯が、私たちの仕事の時間帯なのです。昨今の時事ネタや流行など、とんと疎く、私の情報元は、仕込み中のラジオとお客様から教えていただくお話しです。

先週も、今の若い人は、相手が誰だか分からないので、固定電話を取るのを怖がる、学校で公衆電話のかけ方を教えると聞きました。それもダイヤル式とプッシュ式を。

ある老齢の92歳のお客様のお話で、お話しの様子だと東大の法科を出られた裁判官だったようで、最初の任地が熊本で、次が新潟だったそうですが、新潟は何でもお金で解決がつき、熊本は理で解決するのだそうです。そして驚いたのが、熊本では1年目は通訳がつくのだと言う話でした。聞いた瞬間、「バカな」と思いましたが、今から70年ほど前ならば、はじめは方言が分からなかったかもしれない、と納得しました。

その話をやはり古いお客様に話すと、その方は東北出身で、今、流行のオレオレ詐欺が青森の津軽では一件もない、とおっしゃっていました。電話を取って、一言二言ですぐに違うと分かるというので、大笑い。

本当のことは、実際に、会ってみたり、触ってみたり、食してみたり、経験してみないと分からないようです。師匠のドゥラベーヌ氏がよく「味の話はするな。どんな言葉巧みな人が話をしても相手には伝わらない。だから、自分で経験しなさい」と言っていました。

経験と言えば、オートバイです。

地中海では、車は夏場あまり役立たず、渋滞を回避できるのでオートバイの方が便利です。サントンのジェラルドゥ夫妻が、750ccに乗ろうと言って、試験を受けました。結果、奥様は受かりましたが、ご主人は駄目で、結局125ccのバイクになりました。フランスでは、当時、車の免許で125ccのオートバイまで乗れました。私も車の免許で乗っておりました。

私にオートバイの乗り方を教えてくれたのは、アルバイトで皿洗いに来ていたヒリップという18歳の学生で、マルセイユの少し北方にあるAvignonアビニオン、そうアビニオン橋で有名な町からトライアルバイクで夏休みのバイトに来ていました。ちなみに、フランスで一番美しい発音をするのがアビニオンだと言われています。

トライアルバイクは低速で馬力を発揮するオートバイで、速くは走れません。店の2軒手前の横に店の裏に登る急な階段があり、そこにウィーリィー(前輪を持ち上げて走る)で降りたり登ったりしていました。

時々、目の前の警察からGendarmeジャンダルム(フランスでは、Policeポリスとは言わない。直訳すると、近衛騎兵・憲兵で、CharlsⅦシャルル7世が創設した)が出てきて、怒られていました。

あまりに上手なので、ヒリップに教えを仰ぎました。

私が転んでバイクを傷つけてゴメンと彼に謝ると、「そんなことどうでもいいよ。それよりも良かったね。一つ覚えたでしょ。どういう風に運転すると転ぶと。良かったね。」と言われて、18歳の子に教わりました。

経験ということを。そしてその大事さを。