日本には“中央”と“地方”はあるけれど、自衛隊には“地方”しかない、と言った人がいました。東京も“地方”協力本部、北海道も沖縄も“地方”協力本部って言うじゃないか。ナルホド!!自衛隊の中心は、昔は北海道、今は九州・沖縄かもしれません。・・・・言葉遊びのできる人、ユーモアのある人はとても魅力的ですし、ユーモアはボケ防止に効果があって、ボケないそうですね。

75、78、これはパリとパリ近郊の自動車ナンバープレートの番号の一部で、日本でいうと世田谷ナンバーや品川ナンバーみたいなものです。地中海では、これらのパリとパリ近郊の車には、絶対、裏道は教えません。知られると、裏道の意味がなくなってしまうからです。

もう一つ、「地方」という言い方は、日本的なのです。フランスでは、Parisパリも一地方で、誰も日本の東京のように、パリが中心だとは思っておりません。日本の場合、地方から東京に出てくると、大阪人以外、ほとんどの人が方言や訛りを直そうとしますが、フランスでは、「自分の住んでいるところが中心だ」と思っている人が多いように感じました。普通、パリの人のことをParisienパリジャンと言うのをよく聞きますが、地中海では、これを卑下した言い方でParigotパリゴと言っていました。

もう少し地中海の話をしましょう、と書いているときに、宅急便が届いたのです。

送り主を見ると、悪い予感が走りました。開けてみると、やはりそうでした。私が生まれる前からの昭和17年からのお客様で、享年100歳と4ヶ月のおばあちゃまでした。4年前まで、週に2~3回、昼、お見えになり、お嬢様の悪口を言って大笑いをして帰られ、時々、お友達の2歳年上のおばあちゃまとお越しいただいておりました。

それはもう、私ども夫婦にとっては見慣れた風景だったのですが、時々、お料理を作っているときに、お二人で196歳のおばあちゃまが向かい合って食事を召し上がっていると思うと、笑いがこみ上げてきました。

そう、地中海の話でした。このお亡くなりになったおばあちゃまの一つ年上の幼馴染みのおじい様を、今から20年ほど前にお連れいただきました。この方のおじさんという方が初代日銀総裁で龍圡軒の初代菊(糸編に菊)松より店の裏を買っていただいたそうで、その日の日記をお持ちいただいて、見せていただきました。明治35年の話です。

それから時々お見えになり、色々とお話しするようになった、あるとき、地中海の話になり、サントロペから30kmくらいのところにダムの決壊の跡がある、という話をしました。サントロペの老人から聞いた話で、「水が1mも来た」と聞き、見に行ったとお話したならば、「私も見に行きました」と言われ、ビックリ。ダム屋さんだったのです。

私たちサントンのスタッフには、手抜き工事が原因だったと聞かされていましたが、それは間違いで、地下に石英の層があり、それで決壊したのだそうです。それを調べに行かれたとのこと。

世の中は狭いものだと思いました。

お亡くなりになったおばあ様のご主人はエンジニアで、零戦を作った一員だったそうです。自分たちが防弾にしなかったせいで、若い方々をたくさん亡くなったというので、恩給もご辞退なさり、飛行機も乗られなかったそうです。

60歳を過ぎたときに、ご主人が、「あなたは絵が好きだから、イタリアにでも行ったら」と勧められたのがきっかけでヨーロッパ旅行にはまったそうで、パリには、もう50回以上行かれたそうです。

おばあ様が定宿にしていた住所が34番。フランス語でTrente quatreトゥラントゥ・キャトルだったのです。パリのご友人から「おばあちゃん、トラとネコと覚えれば良いのよ。トラとキャットよ」と教わり、「タクシーに乗って『トラとキャット』って言うとちゃんと着くよ」と、笑っておいででした。

素晴らしいのは、パリから他の国への移動に飛行機を使わずに、電車やバスで行かれ、「そうすると国の変化がよく分かる」と、仰っておられていたことでした。その通りだと思います。「これだけ飛行機に乗ると、マイルが溜まっているので、ファーストクラスが空いているとファーストクラスに替えられてしまうが、私はエコノミーが一番だ」と仰っていました。足を載せようにも背が低いから届かないし、隣の人と話そうにも遠いし、外を見ようとも見えないのだそうです。