《人間の感情の記憶。嫌だと思えば、嫌な出来事になってしまいますし、楽しかったと思えば楽しい記憶になって残ります。嫌な記憶も、勉強になったと思えば、良い記憶になる。

つまり、自分の出会った出来事や経験をどのようにとらえるかで、自分の将来にとって有益な記憶になるか、トラウマのようなマイナスの記憶になって定着するのかが決まります。

感情というのは極めてあいまいなものですから、感情の記憶を感情だけで終わらせるのではなく、頭で整理して、楽しかった、面白かった、勉強になった、何かのきっかけになったなど、プラス方向の記憶に転換することで、自分の過去の記憶を変えることができることになります。

この過去の出来事に対するプラス思考、プラス感情が、人間の成長の糧となるのです。

このエッセーには、プラス思考の記憶術が盛り込まれているように感じます。》

前回の続きです。ここは「くやしい」です。

それは旅行に行けなかったことです。自分が悪いのですが、悔しいです。1974年の1月8日のことです。それが起きたのは。場所は、パリの調理師学校でのフランス最優秀調理師見習いコンクールです。これは前にも書きましたが、調理師試験で94県の1番が地方戦を行い、そのトップが23地方代表になって最終コンクールで競います。

何が悔しいんだというと、もちろん成績。成績自体はそれほど悪くなく、ローストの部門とデザートの部門で、私が1番でした。全体でも4位。でも、この4位が3位との差は、全得点で1点差でした。あと2点あれば、モロッコに1週間のご褒美旅行に行けたのです。それもグランマニエというお酒の会社からお小遣いまでついてですよ。あと2点。これは本当に悔しかったです。それも寒い2月に暖かいモロッコは、大変魅力的でした。

次は、「痛い」です。

朝、通勤途中にソレックス(前輪にエンジンがついている自転車)に乗っているとき、急に右下腹に何かに刺されたような痛みが走りました。お察しの通り、盲腸でした。予期していなかったので、強烈な痛みが脳裏に残っています。その日の午後、車で10分ぐらいのサンジェルマン・アンレーゴ市の市民病院へ。その日の夜に手術していただきました。

ここでもう一つ、「気持ちいい」です。

手術前に全裸にされて、暖かい毛布に包まれて初めて見るベンケーシーの世界。天上の蛍光灯を見上げてストレッチャーで廊下を運ばれて手術室へ。そして手術台の上に。「100から逆に数えて下さい」と云われ、99,98,97までは今でも覚えているのですが、全身麻酔でした。こんなに「気持ちいい」のは、今までの人生で初めてでした。温かい毛布。

でも翌朝、ズキン、ズキンの痛みで起こされました。そのとき、これが現実なんだと、つくづく思いました。

1週間ほどの入院でしたが、このとき、人生で初めて飢えを経験しました。3日と半日ですが。手術の翌日は食事がないと分かっていましたが、さすがに空腹でした。なぜかと云うと、朝、痛みを覚えた日が休み明けの火曜日だったのです。なぜ手術した翌日お腹が空いているのかというと、お金がないからなのです。フランスに渡った最初の給料が1500円だったのは前にも話しましたが、それから5ヶ月後の2月で毎月1000円ぐらいずつ上がってはいましたが、やはり少ないので、休みの日は1食と決めていました。そのお陰もあって、当日に手術ができたのかもしれません。結果、丸2日、何も食べなかったのでお腹が空いていたのです。

そこへ同室の人、3人。この人たちが食事を食べているのを見るのが大変つらく、バカな私でも見ないで済む方法を考えるもので、出た答えは、寝ていれば見られないです。100点満点中100点。この病院では早朝、近所のパン屋さんが毎朝、クロワッサンとチョコレートパンを売りに来ていました。さすがに空腹だった私は、チョコレートパンを一つ買っていると、それを見ていた看護婦さんに取り上げられ、返されてしまいました。今でも、この看護婦さんの顔と、小さな紙袋に入ったチョコレートパンは夢に出てきます。もう49年も前の話なのに。食べ物の恨みは恐ろしいとは、よく云ったものです。

手術した日から3日目、チョコレートパンの日でした。朝の時間帯に尿道のパイプを外されました。そして別の看護婦さんがシーツを替えに来ました。私は子供の頃からと云うよりも、本能的に病気になると動かずにジッとして体力の回復を待つタイプでしたので、動きたくなく抵抗しましたが、ついに起こされてしまい、ベッドから追い出されました。そこで気がついたのです。大丈夫だと。皆さんのご想像の通り、もうベッドには大人しくおりませんで、点滴を持って、夜中にナースステーションで遊んでいました。4日目にマッシュポテトが出てきたときの味は忘れません。日本だったならば、お粥なのに、と思ったのも覚えています。

一つ感心したのが、病院着というのでしょうか。また手術後だけなのかもしれませんが、皆、全裸に女性のシュミーズのような、袖のない寝巻で、すごいのは肩、脇、そして腰のところで紐で結んでいるだけのものなのです。何かあったときにすぐに処置でき、また大中小もなく一種類でした。

「痛い」「気持ちいい」「食べ物の恨み」でした。

「楽しい」は色々ありすぎて、特にと云われても、ムッシュ・ドラベーヌに連れて行っていただいたバカンスも大変楽しかったですし、そういえば土曜日の夜に隣町のパーティーに自転車のドミニックを真ん中に挟んで、私のソックスとパスカルのモビレットで引っ張って、15km」を行ったパーティー。19歳の思い出です。

これと似たようなバカなことばかり思い出します。

そういえば今日、8月8日は私のお誕生日で、今、家内が「ドミニックから電話がかかってくるの、いいね」と云っていました。もう40年もかけてくれています。有り難いことです。

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