《私たちの年代では、この言葉を聞くと懐かしさを覚える「結構毛だらけ、ネコ灰だらけ」。明日は明日の風が吹くとクヨクヨせずに歩いて行く、寅さんの顔が浮かんですっと肩の力が抜けるような気がする魔法の言葉。

最近は、原因がどうだったとか、対策はこうだとか、七面倒くさい話ばかりが目について、当事者に対する信頼感が感じられない。気にせずに歩いて行け、前に進むことが大事なのだということを忘れてしまっている。

物事には解決できることとできないことがあり、解決できないことはほとんど、時間が解決してくれる。1年前の悩みを思い出してみろと、言われてもほとんど思い出せない。でも、もう悩みはなくなっていて、まったく問題になっていない。そんなものだと思う。

歩みを止めないことだけが大切なこと。 そんなことを思い出させてくれる素敵な言葉だと思う。》

前回の続きですが、記憶をたどっていくと結構ありますね。面白い話が。

私は、映画が好きです。フランス人にとって映画は、ルミエール兄弟が発明したからではないでしょうが皆、大好きで、並んでも見に行っています。映画のことで、ビックリしたことがありました。

男と女というクロード・ルルーシュ監督の映画のなかに出てくるサン・ラサール駅。日本人にとって同じ映画の題名になっている北駅Gard de nord ギャル・ド・ノールを押さえて1番知られているパリの駅だと思っています。

この駅のなかに、ロードショーではない、少し古い映画を上映していて、入場料も安い映画館がありました。汽車の待ち時間用の映画館だったと思います。

ここで見たシドニー・ポワティエの夜の捜査線を見たときは驚きました。終わって、出演者の字幕ロールが出たときに1人が立ち上がり拍手をすると、それにつられたわけではないと思いますが、ほぼ全員が立って、いわゆるスタンディングオベーションでした。こんな経験は生まれて初めてだったので、映画が大変素晴らしかったことより、このスタンディングオベーションの方に感動しました。学生街で有名なサン・ミッシェルの映画館で、黒澤明監督の赤ひげのときは、もっとすごかったです。これぞ会場割れんばかりの拍手と云うに相応しい光景でした。

皆さんが思っている以上に、小津安二郎監督、黒澤明監督の人気はすごいもので、学生街ではチャップリン、ヒッチコック、小津安二郎の三氏のフェスティバルは、大変よく行われていました。小さな小屋ですが。

パリの映画館は面白いもので、風と共に去りぬを何十年も掛けている映画館。マドレーヌ寺院の斜め横のディズニー専門の映画館。オペラ座の先のブルーバード・ポワッソニエにあるRexレックスという豪勢な映画館は椅子ではなく、1人がけのソファーでタバコが吸えました。

映画と云えば、リッツにいるときにポルノ映画が解禁になりました。人間の心理って面白いもので、最初の3週間は皆、こぞって見に行きました。私もその頃付き合っていたシルビーと見に行きましたが、見てはダメと云われると見たいもので、それがいつでも見られるとなると、そんなに興味を示さなくなるものです。アッという間に上映館が減りました。

そういえば、映画で、私の家内、静子編集長が希な経験をしておりました。今から55年前の話で、彼女の実家が東京四谷三丁目で、隣の和美ちゃんと雨が止んだので、新宿牛込に3本立ての映画を見に行ったそうです。映画に見入っていると突如、スクリーンを突き破って、丸太と水が飛び出てきたそうです。館内は、きゃーっという悲鳴で、大惨事。家内は余りにビックリして声すら出なかったようです。今だから笑って話せますが、と云っております。

俳優では、シリアス俳優よりも、喜劇俳優の方が尊敬されていました。私の友人たちの間で1番尊敬されていたのは、サーカスのピエロでした。そういえば、(私の文章に多い言葉、話のはじめに書く“そういえば”ですね。語彙力のなさを痛感します。反省)、確か1970年までは、駐仏日本大使館がパリに住んでいる日本人を招待して、年末の紅白歌合戦の8mmだとか、16mmのテープを見せてくれていたそうです。私は、仕事で行けませんでしたが、確か71年からは、日本人も多くなり、映画館を貸し切って大きなスクリーンで招待していたそうです。私もリッツにいるときに、懐かしいので見に行きました。

これがまた、リッツの裏口にあるカンボン通り。ココ・シャネルが初めてブティックを出したことで有名な通り、とても細い道ですがその対面に、有名なオリンピア劇場があります。そこでイブ・モンタンさんの公演を、シルビーと見に行きました。90分位の舞台で、黒のスーツに細身の黒ネクタイ。そしてマイクに挿した真っ赤なバラが1本。生オーケストラは、舞台下で、見えませんでした。モンタンさん1人で歌とお話し、アッという間の90分で、素敵なショーでした。

そしてそこへ、紅白の映画でした。大変申し訳ないのですが、郷ひろみさんが黒のきらびやかなブレザー、アナウンサーがカラスの羽根だと云っておりました。後のダンサーの人たちと舞台回り。何だこりゃ。芸風の違い。よく分かる。キャリアの違いも。正直、ものすごいショックを受けました。最後まで何か祭りの集まりで、チンドン屋のようで、確かに歌の祭典で年末を明るく、これも分かるのだが、パリで見るものではないと感じました。申し訳ないが、場違いだったんです。何か、逆に沈んだ気持ちで帰ったのを覚えています。

それから映画の最後に、何で渥美清さんの男はつらいよ、フウテンの寅さんをフランスに売り込まないのかと思います。フランスで上映すれば、これぞフランスの下町、フランス人には共感できる人物、場面がふんだんにあり、絶対ヒットすると思いますが、確かに、寅さんの譚歌売りの口上を訳すのは難しいと思います。

リッセにいるときに、ゴーン氏の秘書をしていた岡部アキと訳しましたが、ダメでした。

結構毛だらけ、猫灰だらけ.

Bien poilu(ビャアン・ポアリュ)よし、結構、毛だらけ

Chat cendreux(シャ・サンドゥリュウ)ネコ灰だらけ

と、直訳になってしまいます。 フランスのウィットに富んだ同じような語呂合わせをよく知らないと、なかなか訳すのは難しいと思います。これがネックなのかもしれません。

https://www.saibouken.or.jp/archives/2946