仕事で、大切なことは、精神的に健全であること、次に、肉体的に健康であること。何が健全か、などと野暮なことは考えないで下さい。声をかけたら「はい!」と、相手の目を見て元気よく返事ができる、それだけできれば良いと思っています。

肉体と精神は比例する、というか相関関係が強くあります。精神的な健全性を肉体でカバーすることはできませんが、肉体が健康でなければ、精神的な健全性を維持することは難しくなります。

私は防衛大学校を出て、小隊長の頃から退職するまでの間、部隊長として常に隊員に要望したことは、「胸を張れ、身体を鍛えろ」でした。

ポジティブであることを姿勢という形で示し(隊員に「健康」を求めるのは失礼だと思って)、プロに相応しく、身体を鍛えることを求めていました。

体力は、時間や回数や質を計り、数字で管理することができますが、目に見えない精神を管理することはできません。しかし、測定された記録を通じて、具体的行動を通じて精神面を指導することは可能です。分かりやすさが一番です。それに自分の精神力は自信がなかったけれど、体力には自信がありましたから。

メンタル面での指導に興味を持つようになったのは、学生時代、バスケットボールを通じて日本を代表する素晴らしい指導者と出会ったことがきっかけでした。バスケットボール好きが昂じて、スポーツ指導者に関心を持ち、トレーニングの本から始まり一流指導者の体験談、リーダーシップ本、スポーツ心理学本などを片っ端から読み漁りました。

二十歳代の頃はまだ、メンタルヘルスやレジリエンスという言葉は知りませんでしたが、諸外国の指導者の本のなかでは、メンタルトレーナーという言葉はボチボチ出てきている頃でした。まだ研究者も少なかったのか、書籍の数も限られていました。それが今に続いているので、何しろ年季が入っています。

自衛隊に入って、関心は、マネジメントやリーダーシップに移りましたが、バブルの時代本屋さんのビジネス書のコーナーにはタイムリーで面白い本が溢れていました。一流の企業人やスポーツ指導者の話には必ず、どこかにメンタルの話が出てきします。今度はそのネタを追いかけて、ネタ元になったカウンセリングやコーチング、心理学、行動心理学などの専門書を読んで裏付けを取るのも面白い一種の趣味でした。

研究者は、現場を観察し、当事者から現状や意見を聞いて、自分の専門分野に絞り込んで普遍的な問題解決の心理を探求していきます。しかし、現場に生きている者はすべからく総合的、重層的にとらえ、さまざまな要因の複雑な相関関係を図りながら、全体のバランスの取れた処置をとろうとします。

現場からすると専門家のものの見方や捉え方は、どうしても一面的で、全体が見えていないように思えてしまいます。専門家から見ると、現場の人間は、問題の焦点が絞り切れず、本質が理解できていないように見えるでしょう。

さまざまな情報のなかから、現場で役に立つものものだけをいわば、つまみ食いして使わせてもらっていました。難しい説明はともかく、良いと思った結論だけを参考にして、よく言えば、実践していました。一つひとつは小さなことでしたが、組織のメンタルヘルスケアを高める大きな成果があったと感じています。

体系的に学んだわけではありませんが、自衛隊は極めて論理的かつシステマティックに動いていきます。その結果、振り返ってみると、一見、まったく関係がなかったような経験や雑学的な知識が、ジグソーパズルの一つひとつのピースのようにつながって体系化してきました。

そして自衛隊では極めて実務的に教えていることのなかにも、極めてうまくメンタルヘルスケア(レジリエンス)への配慮が含まれていると分かりました。その最たるものが任務分析です。

メンタルヘルスケアで最も大切なことは、一つひとつの仕事の目的や目標、施策の狙いや意義を考えて、それに適っているかどうかを考えること。行動に“意味づけ”をして“理に適ったこと”をするのが、レジリエンスを養うために必要なことだ、ということです。 

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