ルノワールが出てきて、コルシカ島が出てくると、やっぱりフランスの話だったんだ、と夢見心地になって読み進みます。ここでは、随所に、フランス人の心意気と格好良さが描かれています。

皆さん、Renoirルノワールのムーラン・ドゥ・ギャレットはご存じだと思います。同じルノワールの作で、レストランのテラスで食事をしている絵をご存じですか?

今回の登場人物はそれに関係している人で、私に乗馬を教えてくれたオジエ氏のところのドミニックです。

彼の出身レストランが、その絵の舞台でセーヌ川添いのM.Soulatムッシュ・スーラの店でした。スーラ氏がお客様からオーダーを執ると、オーダー票に何やら絵が描いてあったそうです。例えば、仔羊の絵×2とか、牛の絵×3と、オーダーを取りながら話をして、スペールで仔羊と書くのではなく、絵だったそうです。これもルノワールが影響しているのでしょう。

話が逸れましたが、スーラ氏の常連客が夏休みの間のお抱えコックを探しているとのことで、私に行ってみないかと、話がありました。行先はコルシカ島で雇い主は、自動車会社のCimucaシムカの子会社の社長さんBarbedienneバルベディエンヌ氏でした。

面白そうで興味があったので、師匠のドラベーヌ氏に相談しに行きました。すると最初は自分の弟子がスーラ氏にとられると思ったのか、怒っていましたが、「行って、本土との違いを見てこい」と助言をくれました。

という訳で、コルシカに渡り、そこでビックリ。前記したモビットのパスカルの義理の妹マリーがいたのです。話を聞くと、パスカルのお父さんがバルベディエンヌ氏の会社の経理部長で、そこから話が回ってメイドのアルバイトに来たというのです。

バルベディエンヌ氏に初めてご挨拶したときにまた、ビックリ。バルベディエンヌ氏曰く、「オカノさん、私は1年のうち10か月は朝7時から、接待で夜11時まで働いています。ですからバカンスの間は金の力でみんなに “馬鹿野郎”と言ってやりたいのです。よろしいですか?」と。驚きましたが、すごくストレートで気持ちよく、納得できました。

実際はそんな方ではなかったのですが、今思うと、社長という人たちは、本当によく働くと思います。ニッサンのゴーン氏も、私をかわいがってくれたノル・ジャパンの井筒様も(西部の堤さんの右腕で、パルコを立案、作られた方です。)、よく「社長の仕事は社員の方々の出社前に仕事を整理し、その日の仕事を指示することだ」と、おっしゃっておりました。その通りだと思います。

その次に驚いたのが別荘で、プールがあるのは当然で、まるで007の映画の世界でした。リビングは100畳くらいあり、3階まで吹き抜けで、そこの2階の位置に10畳くらいのガラス張りの寝室が突き出ていました。

奥様は市場の活気がお好きで、St.Germain en Laveサン・ジェルマン・アン・レーヴ、パリから車で45分くらいのところの市場で魚屋さんを開いておられ、下町の元気なお母さんでした。そして娘さんは、別荘がある村の漁師、ドミニックと結婚して可愛い4歳のお嬢さん、メリッサがいました。

島なので、満天の星空や海面一面に雨のように降る雷も見ました。

コルシカはナポレオンが出た所なのでタバコとお酒は税金がかかりません。島らしいなと思ったのは、2年前の祭りのときに若者が酔っ払って警備員を襲い、機関銃を奪って山中で撃ち尽くした、という事件が起きたそうですが、皆、犯人を知っているが、捕まらない。

そこが島なのです。皆、どこかで繋がりがあり、親戚なのです。gens darmes ジャン・ダルム(人・氏・部族 武器)→gendarmerieジャンダルムリ(近衛騎兵隊=日本の警察)。ポリスはあるのですが、外人部隊が警備をしていました。

一つ困ったことがありました。

気晴らしにカフェに行きました。お金を払う段になって、受け取ってくれないのです。娘婿のドミニックから私のことを聞いていたようで、他の店にも行きましたが、確かに日本人は私一人なので、どこに行っても分かってしまいます。結局、飲みに出られなくなりました。仕事もまるで家族の一員のようにしてもらい、仕事のような気がしませんでした。

そしてあっという間に1か月半が過ぎ、ドミニック夫妻とメリッサを残し、全員でパリに帰りました。

そのときにお給金をいただき、更にビックリ。当初のお話の倍の額が入っていました。 バルベディエンヌ氏から、「使った金額は昨年の料理人の半分以下だったのに、今年のほうが何倍も良かった、大変感謝している」と言われ、私も嬉しく思いました。